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今夏は所用があって、35年ぶりに父母の故郷に行ってみたのだが、街中の景色も人の流れも完全に変わっていた。商店街と共存していた中規模量販店はもはや街中になく、大駐車場付き大型量販店が、かつて田んぼだった地域に連なっていた。1970年当時の人口は13万人くらい、2010年には9万8000人前後とは25%の人口流失で、田畑と緑は減る一方で、住居や倉庫などの建物が増えていた。スイスや英国だったら、農地がこれほど変わるのには100年以上掛かる。生産地はどこの国でも重要なので、おいそれと利用法は変えられないのだ。
一方で、変わらないものも見つけた。北上市から横手市に渡って東西を結ぶJR北上線沿いの自然景観は40年前とほとんど変わっていない。
この自然景観が保たれているのは過疎の逆説的な効果ではないか、と思うのと同時に、過疎の中にこそ、まだ我々の気付いていない、あるいはまだ資産価値化や財政価値化されていない地域資源が隠されているのではないか、とも考えた。あるいは、過疎になったことで、営々と日本の農業を支えてきたその土地の独自性や特色にあらためて気付かされる機会ではないのか。農業に後継者がいないといっても、職を求めているのに得られない人々もいるし、農業を支持したい人も多い。自然自体は観光資源にもなるし、共存の思想は食料資源の維持やマイナーサブシステンスという本来的な学習効果ももたらす教育資源になりうる。
ただし、よく見れば放棄農地もあったし、廃棄物の不当投棄も見掛けた。自然を放っておくだけでは、あまりいい方向には向かないと推し量られるだけに、過疎化が進んでもここに棲み続ける人々、たまに訪れる我々の将来、そして自然環境と資源確保、ひいては日本の農業のために、この土地の魅力を引き出す英知が求められているのだろう。
過疎はどこかに向かう過程のひとつであって、必ずしも悪いことばかりではないようにも思えた。なにしろ、世界中を見てきたフーテンには、過疎化した日本でも、欧州の街よりもなお豊かに見えるのだから。
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マック木下
ゼネコン、商社、航空旅行業、世界的弱電企業などの国際畑で育ち過ぎた50代。1980年代から主に英国に住み、英人が本名をちゃんと発音できなかったので、いつしかマックに。ジャンルには無節操なライターで、執筆歴は10年間ほど。専門は日英関係史とロンドンの歴史散歩。寄稿先は『英国特集』『R.S.V.P.』『Quality Britain』『Taste of Britain』『未来教室』『ぼんじゅーるレマン』のほかミニコミや会員誌など。
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