ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

日系米国人の教え



そう言えばファスト・フードにはこんな思い出がある。私が16歳の時、ハワイのマックでオーダーした時に_to go? or here?_と聞かれ意味が分からなかった。いったいto goってなんだ? 後でテークアウトの意味だと知った時には将来の金髪・ブルーアイとの出会いに備え、使えるイングリッシュの大切さをしみじみと理解する出来事だった。

それにしてもすごいと思いませんか? 92歳でタコのファスト・フード店に行きたいなんてこと言うおばあちゃん。うどんやそばがだめだとは言っていない。年を取ったらあっさりした物が食べたいなんて体がシワクチャになるのが当たり前だ! なんて余裕をカマシテいたら、楽しみなんてものがなくなってしまう。和洋折衷なんでもござれの精神が長生きの秘訣なのだろうか。

その後ランチが無事終了し、おかわり自由なドリンク・カップにダイエット・コークを入れて北海道だと初夏を思わせるサザンカリフォルニアの乾いた空気からのどを潤しながらスーの自宅に戻ることになった。

スーは用事があると言って2軒となりのナカムラさんの家に行くと言ったので、ついて行くことにした。このナカムラさんの家には今までに数回お邪魔しているので、変に気後れすることはなかったが、やはり日系3世とは言っても米国人には違いがないので、私の方から不必要に日本の話を持ち出すことはなかった。

お互い米国人であってもスーは1984年放送のNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』の松本幸四郎が演じる実在した主人公、天羽賢治と同じ羅府新報の同僚であったので戦前、戦中、戦後のマイノリティーとしての日系人の立場を肌身で知っている。スーは多くの教育を日本の岩国で受けたので学校の成績が良ければそれはそれで問題なかったが、スーのご主人ヘリーをはじめとする多くの2世は1930年代・大恐慌時代の米国教育を受けたがヘリーの学校の成績はいつも“2番”だったらしい。1番ではなかった。中学に入学してすぐ1番の成績を取った時、クラス中からカンニングをした、答えを知っていたなどの言われなきバッシングを受けたそうだ。そんな環境に嫌気がさして回答はいつも満点にして、消しゴムで正しい答えを薄く消したり、半分消したりして採点する先生を試していた。その結果、成績1番はいつもユダヤ系で日系は2番と言うのがクラスの“暗黙のルール”だったらしい。またある時、先生が「米国は自由で民主主義の国だ」と言ったのでヘリーは「では白人が多くのインディアンを殺したのも民主主義ですか?」と質問したところ、当然のごとく無期限の自宅学習となった。家でムシャクシャしていた自宅学習中に成績を1番にさせていたユダヤ人の同級生が遊びに来て、ヘリーにこう言った。「君も知っているだろ、米国人(白人)には楯突かない方が良いよ」と。

関連記事

powered by weblio