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旅の曲者

世界とつながるために

イラクの日本人人質事件についての報道もすでに一段落したが、いまだに釈然としない後味の悪さが尾を引いている。日本政府の対応とか、自衛隊の派遣、自己責任という問題などもさることながら、日常世界の外に出るという行為を他者に納得させることのむずかしさを、あらためて考えさせられたからだった。それは、とりもなおさず、旅のさなか、たえず自分に突きつけられてきた問いかけでもあった。
 イラクの日本人人質事件についての報道もすでに一段落したが、いまだに釈然としない後味の悪さが尾を引いている。日本政府の対応とか、自衛隊の派遣、自己責任という問題などもさることながら、日常世界の外に出るという行為を他者に納得させることのむずかしさを、あらためて考えさせられたからだった。それは、とりもなおさず、旅のさなか、たえず自分に突きつけられてきた問いかけでもあった。

 ぼくが一年近い長い旅に出かけたのは、八〇年代の後半だ。その頃、アフリカや中東について手に入る情報といえば、紛争や飢餓や難民のニュースくらいしかなかった。だから、そんなところへ好きこのんで旅行するというと、みな不思議がった。飢えて苦しんでいる人がいるようなところに、いいかげんな気持ちで出かけるとはなにごとか、とお説教されたこともあった。

 自分はけっしていいかげんな気持ちではなかった。しかし反論したくても、それだけの知識も経験も自分にはない。他者を納得させるどころか、自分自身に対してさえ、その動機をうまく説明できなかった。

 そうやって、アフリカにわたり、スーダンの大地に足を下ろしたものの、さらなる疑問を突きつけられた。というのも、そこで自分が出会った人たちは、みな何らかの明確な目的をもってこの国に滞在していたからだ。それは調査のためだったり、取材のためだったり、援助のためだったり、商売のためだったりした。しかも、町の外では戦闘がくりひろげられていて、現地人はみな生死にかかわる深刻な運命を抱えて暮らしていた。そうした中にあって、自分だけが、この切実な現実となんの関係もなかった。そのことが居心地悪く、後ろめたかった。自分は世界と切り離され、世界の動きになんら参与していない。そのことがいいしれぬ重圧となって、暑熱とともに自分にのしかかってくる気がしたのだ。

 では、自分もまた「世界とつながる」ために、なにかの団体や組織に属したり、あるいは具体的な援助活動をすれば、この居心地の悪さは解消されただろうか。その道をとらなかった自分にはなんともいえない。

 しかし、たしかに、それはひとつの必然的な選択だと思う。自分が旅のなかで与えられたさまざまな好意に対して、自分からもなにかできることをしたい。そう思うのは、きわめて自然で、素晴らしいことだと思う。事実、旅行の経験がきっかけとなって、報道やNGO活動の世界に入っていた知人も少なくない。

 今回の人質たちが、それにあたるのかどうかはべつとして、ショックだったのは、政府も大衆も、個人的な動機に根ざした活動に対して、驚くほど冷ややかだったことだ。ネットの書き込みなどを見ると、人質の活動を「自己満足」と断罪するものが、あまりに多いのにも驚いた。つまり、慈善を施しているという満足感に浸りたいがために、現地の人たちを利用しているという、昔からボランティア活動に対してつきものの批判である。しかし、個人のボランティア活動が自己満足ならば、国家が自国の利益を考えて援助をするのは、比べものにならないくらいスケールの大きな自己満足ではないのか。

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