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次世代リーダーの誕生

プロ農家が果たすべき『契約』とは

1990年に実家の農業を継いだ木内氏。スーパーと始めた産直で野菜が高値で売れ、初めて農業の面白さを感じた。翌年、「背丈が高いゴボウは売れないぞ」という言葉をヒントに、ゴボウをカットして出したところ、週2万パック売れるヒット商品に。流通まで入り込むことで、農業もビジネスとして成り立つことを実感した。
 「カットゴボウ」は、今まで誰も思い付かなかった商品だ。納入先の神奈川生協(現ユーコープ事業連合)からは次々と注文が入り、さらに「別の野菜も扱いたいので農家を紹介して欲しい」と言われた。

 地元で農業をやっている同年代の仲間に声をかけたところ、4人が名乗りを上げ、出荷も共同でやっていくことになった。


産直組織を作る


 私は、1993年に実家の農場を(有)さかき農産という法人にした(さかきは木内家の屋号)。当面、さかき農産の倉庫を共同出荷場として使い、荷物はメンバーが交替で東京まで運ぶことになった。

 メンバーが15人ほどになった頃、倉庫が手狭になり、新たな出荷場を建てるなど、インフラを整備する必要が出てきた。

 農林中央金融公庫から融資を受けようとしたが、すんなりとはいかなかった。当時、メンバーの野菜の売り上げは2億円を超えていたが、さかき農産の売り上げは3.5億円あった。つまり、生産より流通の比重が大きかった。公庫からの融資はあくまでも農業生産に対する融資であったため、流通の比重が高いさかき農産は融資の対象から外れるのだ。

 そこで、「出荷組合を作って融資を受けよう」という話になったが、これにも壁が立ちはだかった。

 メンバーはみな若く、数少ない農業後継者として農協からも期待されていた。そういう彼らに参加してもらって出荷組合を作るとなれば、農協は少なからず危機感を抱くし、メンバーの親たちも農協との関係を大事にしていた。だから、メンバーは表立った行動には出られなかった。こうして、メンバーに出資を募り組織を作るという案も暗礁に乗り上げた。

 とは言え、あきらめるわけにはいかない。そこで1996年、流通専門の別組織(有)和郷を立ち上げ、さかき農産を含め、メンバーの野菜をすべて和郷に出荷する体制をとった。この「製販分離」によって、さかき農産は公庫から融資を受けることができた。

 この時から、さかき農産は私の弟、克則(32)に任せ、私は和郷の仕事に専念するようになった。

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