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農業経営者ルポ

農業者であることが僕の「作品」 高見澤憲一

差別的だと非難されるかもしれないが、人の生き方にはこんなタイプ分けができるのではないだろうか。「生みけけられたままに生きる人」と「自ら生きようとして生きる人」。「与えられた人生」と「自ら創る人生」と言い換えてもよい。住む場所や職業や肩書き、もちろん学歴やいわゆる社会的地位などいうものとは関係ない。世間の注目や評価も関係ない。敢えていえば「心の居場所」とでもいうようなものを、自ら定める人であるかどうかだ。そして、この「自ら生きようとする人生」「自ら創る人生」を選ぼうという気質こそ経営者としての必要な資質であると思う。

 差別的だと非難されるかもしれないが、人の生き方にはこんなタイプ分けができるのではないだろうか。

 「生みけけられたままに生きる人」と「自ら生きようとして生きる人」。「与えられた人生」と「自ら創る人生」と言い換えてもよい。

 住む場所や職業や肩書き、もちろん学歴やいわゆる社会的地位などいうものとは関係ない。世間の注目や評価も関係ない。敢えていえば「心の居場所」とでもいうようなものを、自ら定める人であるかどうかだ。

 そして、この「自ら生きようとする人生」「自ら創る人生」を選ぼうという気質こそ経営者としての必要な資質であると思う。


高見澤さんのプライド


 「僕の野菜作りはまだ下手です。L比率も少ないかもしれない。でも箱を開ければ間違いなく良い品質だと言われる自信があります。自分で出荷選別基準を厳しくしているから。『畑はたいしたことないけど、出荷してくる品物は信頼できる。箱は開けなくても心配いらない』と農協や市場で言われたいから…」

 ゼロからの出発。耕作放棄された土地を借り始めて7年目に入った当時の、高見澤憲一さんの笑いながらも腹から絞り出すような言葉だった。

 平成4年11月末。長野県野辺山。標高 1300mの畑に寒風が肌を刺すような寒い日だった。しかし、畑の脇に建てられた粗末な作業小屋に一人住む高見澤さんを訪ね、ストーブの火ばかりでなく、彼の言葉にとても心地よい気持ちになったことを思い出す。

 今から約2年半前のことだった。その高見澤さんをあらためて訪ねた。

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