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次世代リーダーの誕生

原発事故で地元の支持のなさを痛感 消費者と目線を合わせるために

 (株)照沼勝一商店は干しイモ、サツマイモの生産および産地卸を営む。照沼勝浩は、父、勝一が興した同社に、高校卒業と同時に入社。会社の業績は飛躍的に伸びていったが、1997年に起きた動燃東海事業所再処理工場で火災・爆発事故で風評被害に見舞われた。卸売市場から東海村の農産物が除外される中、勝浩は「農業後継者クラブ」の会長として、置かれた状況に甘んじるのではなく、「自ら行動を起こすグループになろう」とさまざまな活動を起こした。
 2000年9月30日、東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所で放射能漏れ事故が起こった。国内初の臨界事故で、30万人以上の住民が避難に追い込まれる事態になった。マスコミも大きく取り上げ、茨城県産の農畜産物の販売を見合わせる動きが全国的に広がった。

 「またか」―勝浩の頭には、3年前の動燃東海事業所再処理工場の火災爆発事故の記憶がよみがえった。

 だが、再び始まるであろう風評被害を憂える以上にショックだったのは、地元の消費者の支持がなかったことだ。事故後、村内のあるスーパーで勝浩はこんな張り紙を見つけた。「当店では20km圏内で生産された農産物は扱っておりません」―消費者に安全性をPRするゆえのものだったのだが、村内の生産者には衝撃的な文句だった。

 「こういった事故が起こった後は、地元の消費者が支えてくれるものだろう」と期待していただけに、勝浩のショックは小さくなかった。

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