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【農家の淘汰選別で基盤確立】
士幌町農協がスーパー農協に至る道は必ずしも平坦ではなかった。早くから農家を淘汰選別するなど苦難の歴史もあった。
太田が組合長を引き受けた直後の昭和30年半ばには、士幌町農協管内の耕地は9000ha。そこに1000戸以上の農家がいた。一戸当たり9haだ。それから30年間、農業地を積極的に開墾するなどして耕地を14、600haに増やす一方で、農家の淘汰選別を急ピッチで進ませた結果、一戸当たりの耕地面積が3倍以上になった。士幌町農協のある組合員は、
「農業に向かない人や努力しても経営が改善しない農家は、農協は離農を迫りましたね。当時は農協のやり方は一面では冷たく映ったようですが、これは本人のためにも、農協のためにも、地域農業のためにも絶対にプラスだったと思います」と説明する。
当時は、農協の職員が職業安定所に本人を連れて再就職の世話までやったという。今では考えられないことだ。
北海道農業は、農畜産物の市場開放でその真価が厳しく迫られている。規模拡大とコスト低減が最大の解決策となるはずだが、士幌町農協は30年以上も前から農家の淘汰選別を図り、生き残った農家には資本蓄積を促し、農協は農産物に付加価値をつけるべく食品加工に力を入れてきた。森本組合長に「市場開放に立ち向かえますね」と言葉を向けると、「自由化はそんなに生易しいものではありませんよ」との答えが戻ってきた。
今、この士幌町農協が辿ってきた努力の道を、他の農協がようやく歩もうとしているのだ。
士幌町農協がスーパー農協に至る道は必ずしも平坦ではなかった。早くから農家を淘汰選別するなど苦難の歴史もあった。
太田が組合長を引き受けた直後の昭和30年半ばには、士幌町農協管内の耕地は9000ha。そこに1000戸以上の農家がいた。一戸当たり9haだ。それから30年間、農業地を積極的に開墾するなどして耕地を14、600haに増やす一方で、農家の淘汰選別を急ピッチで進ませた結果、一戸当たりの耕地面積が3倍以上になった。士幌町農協のある組合員は、
「農業に向かない人や努力しても経営が改善しない農家は、農協は離農を迫りましたね。当時は農協のやり方は一面では冷たく映ったようですが、これは本人のためにも、農協のためにも、地域農業のためにも絶対にプラスだったと思います」と説明する。
当時は、農協の職員が職業安定所に本人を連れて再就職の世話までやったという。今では考えられないことだ。
北海道農業は、農畜産物の市場開放でその真価が厳しく迫られている。規模拡大とコスト低減が最大の解決策となるはずだが、士幌町農協は30年以上も前から農家の淘汰選別を図り、生き残った農家には資本蓄積を促し、農協は農産物に付加価値をつけるべく食品加工に力を入れてきた。森本組合長に「市場開放に立ち向かえますね」と言葉を向けると、「自由化はそんなに生易しいものではありませんよ」との答えが戻ってきた。
今、この士幌町農協が辿ってきた努力の道を、他の農協がようやく歩もうとしているのだ。
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
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