記事閲覧
【新・農業経営者ルポ】
素直にやって結果を出す元ヤンキーの一直線農業
- 和田農場 代表 和田正人
- 第88回 2011年10月25日
- この記事をPDFで読む
この人もまた元ヤンキーである。
福島県いわき市で大規模水稲に挑戦する和田正人君を紹介するのに、こんなイントロで書き始めたのは、その風貌からである。筆者などは、「連れて歩きたいボディーガードNo.1」と思っているぐらいに存在感は抜群にある。
元ヤンキーと紹介されるのを、ご本人が大いに迷惑がっていることは先刻承知。でも農業界は、ヤンキー系、番長系、ツッパリ系が幅をきかせてくるようになってきた。そのきっかけを作ってくれたのが、自ら「元暴走族」とカミングアウトして、カリスマ農業者になった和郷園の木内博一君である。
和田君は元ヤンキー系だけに、人との付き合いは実に折り目正しい。素直な性格で、しかも進取の気性に富んでいる。こうした和田君の人となりから彼の農業経営を探訪してみたい。
トラクタに乗ったことがなかった
和田君は福島県いわき市四倉町で、1967年生まれの44歳。まだ就農して5年目だ。
「親父が残してくれたのは、1haの田んぼと、6ha程度の借り地でした。親父が脳梗塞で倒れたときは、地元で働いていました。しばらくは農作業の大半を母親に任せるようなことになりましたが、田んぼで格闘する母親の姿を見て、仕事を辞めて農業を継ぐことにしたのです。継ぐ前は、コンバインと田植え機しか乗ったことがなかった。何でだか知らないけど、親父はトラクタに乗ることだけは許してくれなかったんです。技術もなにもないところから農業をスタートしました」
いまは25haまで経営面積が増えた。わずか5年で3倍以上の増え方だ。別段、力んでの増やしたわけではないと、本人はこう説明する。
「農地を集めるのにビラをまいたりするようなことはしていません。両親が集積してくれたものがベースになって増えたものです。いまも両親の努力に感謝しています」
就農前には、土建、運送、保険、工場、ホテル、飲食と、製造業からサービス業まで多種多彩な職業を遍歴してきた。学校を出てから30歳代後半の就農までの間、ひとつの仕事で3年ちょっとの経験になろうか。これは決して飽きっぽいというわけではない。若者特有の「何でも見てやろう」精神に溢れていただけのことだと思う。
その職業遍歴の中で印象に残るエピソードは何かと聞いてみたことがある。30歳前に経験した長距離トラックの運転手だという。福島から関西方面へ雑貨を運んでいて、大阪南港フェリー埠頭のトラック・ターミナルで仮眠していたときに阪神・淡路大震災(95年)に遭遇する。
「あれは直下型の地震でしたから、大きく突き上げるような揺れが1分ほど続いたでしょうか。トラック・ターミナルの仮眠室のベッドに横たわっていましたが、思わずベッドの枠にしがみつきました。それから福島に戻るのが一苦労。当時は、いまほどにカーナビも発達していないし、ネット情報をキャッチできるスマートフォンのようなものもありませんでした。東名高速道路も、中央高速道路も、通行止めになると思い、北陸自動車道に迂回することにしたのです、急がば回れですかね」
阪神淡路大震災から16年目、今度は東北関東大震災に遭遇する。行動派の和田君らしい希有な経験だ。
会員の方はここからログイン
和田正人 ワダマサト
和田農場
代表
1967年福島県いわき市生まれ。高校卒業後、土建、運送、保険、工場、ホテル、飲食など多種多様な職種を遍歴し、39歳に就農。脳梗塞で倒れた父の後を継ぎ、専業農家に。現在、経営面積は25ha(食用米、餅米、小麦、小豆)。小豆と麦はコメとの二毛作。就農してすぐから、直播栽培にも取り組む。母、妻は自家製の原料を使った大福餅、お萩、おにぎりなどの加工を担当。地元5カ所の直売所に出荷。稲作経営者会議に所属。東日本大震災以前、阪神淡路大震災(95年)、宮城県沖地震(78年)を経験。モットーは「日本で誰にも負けないファミリー農業」。
農業経営者ルポ
ランキング
WHAT'S NEW
- 有料会員申し込み受付終了のお知らせ
- (2024/03/05)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)