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「銀座で飲めるような農業をやりたい」
3月11日午後2時46分、このとき、和田君は東京・千代田区麹町の全国農業会議所のビルにいた。稲作経営者会議の青年部役員会が予定されていた午後1時に間に合わすべく、午前に次男の卒業式への列席をすませて車で駆けつけたが、90分遅れて会議所に到着した。大地震は、席について10分後のことだった。
もう会議どころではなくなった。役員会に参加していたのは約10人。東北からは、和田君のほか、宮城県栗原市の生産者もいた。ここは最大震度7を記録した地域だ。めいめいが自宅に連絡をとるが、地震発生で通信障害が起きていて携帯電話は通じない。とっさに会議所の加入電話を借りて連絡を試みたが、連絡をとることができたのは90分後のこと。
「そりゃ、心配しましたよ。東京でも半端じゃない揺れでしたから。しかも震源地は三陸沖ということでしょう。福島県に近いじゃないですか。小学生のときに、宮城県沖地震(78年)も経験しているので、とっさに津波のことが心配になりました。ようやく連絡がとれて、家族5人は全員無事で住宅も倉庫もほとんど被害がなかったと聞いて、全身の力が抜けるぐらい安心しました」
帰心矢のごとしの心境に陥ったが、交通大混乱で帰るに帰れない。常磐自動車道や東北自動車道は通行止め。国道6号線も大渋滞。電車も、常磐線と東北新幹線が運行をやめてしまった。その夜は行動を起こさないことに決めた。和田君らしいのが、その後の行動である。ホテルに戻ってすぐに銀座へ出かけることにした。あの大地震の夜に銀座へ繰り出すのは、たいした度胸の持ち主だと誰しも思われるであろう。本人の弁明を聞きそびれてしまったが、日頃の口癖を紹介してみたい。
「銀座で飲めるような農業をやりたい」
日頃から、儲かる農業をやりたいというのが、和田君の目標で、それをそんなセリフで表現しているのである。ただ和田君に成り代わって弁明をしておきたいのが、銀座は銀座でもいまのところ通うのは農業経営者がポケット・マネーでもいける大衆価格の店らしい。
この目で見た故郷の惨状
その翌朝、関越自動車道を利用して新潟経由で地元・いわき市へ戻った和田君は、故郷の悲惨な状況を目の当たりにして言葉を失う。
「会津若松から猪苗代に入った頃に、故郷の地震の被害の大きさを実感しました。道路は陥没や地割れが目立っていました。福島市郊外では団地が倒れているのも目にしました。裏道を使い、ようやく自宅にたどり着くことができたのは夜8時。翌日は、消防団の救援活動に参加すべく四倉漁港に向かいました。恐怖を覚えるぐらいの惨状でした」
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和田正人 ワダマサト
和田農場
代表
1967年福島県いわき市生まれ。高校卒業後、土建、運送、保険、工場、ホテル、飲食など多種多様な職種を遍歴し、39歳に就農。脳梗塞で倒れた父の後を継ぎ、専業農家に。現在、経営面積は25ha(食用米、餅米、小麦、小豆)。小豆と麦はコメとの二毛作。就農してすぐから、直播栽培にも取り組む。母、妻は自家製の原料を使った大福餅、お萩、おにぎりなどの加工を担当。地元5カ所の直売所に出荷。稲作経営者会議に所属。東日本大震災以前、阪神淡路大震災(95年)、宮城県沖地震(78年)を経験。モットーは「日本で誰にも負けないファミリー農業」。
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