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和田君の住むいわき市四倉町は、福島第一原発から直線で32kmしか離れていない。自宅のある場所は海から4kmほど離れている。しかも小山の脇にあった。ちょっと小高くなっているところだ。太平洋へ流れ込む横川の支流が近くにあるが、ここまで津波はやってこなかった。農地は無事だった。
今回の取材で7月に和田君の家を訪れた。想像以上に田んぼの条件は恵まれていた。作業条件の悪い田んぼもあるが、多くは、小山の際にある平坦地に集中していた。水回りなど条件に恵まれている。新参者の和田君は、条件の悪い山間地の農地だけを集めて苦労しているのではないかという思いは、杞憂だった。
「自作地が増やせた理由ですか? 午前2時、3時には常に田んぼに出てきたからです。集落の長老たちからみれば、田んぼを守る仁王像に見えているかも知れません(笑)。その様子を黙ってみていた人が、年で農業を止めるときに貸したいといってきてくれた。ありがたいことです」
直播と米麦二毛作へ果敢なる挑戦
就農してまだ5年目の和田君は、コメ作りの回数にして5回の経験しかない。コメの販売比率は、業者向け7割、直販売が3割だ。周辺には技術的にも和田君をしのぐ生産者はいる。そのことは本人もよく承知している。それが謙遜する態度に出てくるのであろう。
「俺なんか、まだ雑誌に取り上げられるような立派な人間ではありません。技術も、販売も、まだまだ勉強が必要です」
自称「恥ずかしがり」の彼に経営についての話をさせるのには一苦労した。
和田君は大化けする可能性が大きいと見ている。何よりも感心するのが、明確な目標設定と、それを達成するためのスピード感だ。そのためのチャレンジ精神を忘れない。そのひとつが、いきなりの直播への挑戦だ。長く農業者取材を続けているが、就農してすぐに直播に挑戦したような話はあまり聞いたことがない。
「わからないことだらけだから、先輩に教えを乞うんです。直播がいいって言われれば、やる。素直にやってみると結果が出てくる。技術にこだわりがないので、できることなんでしょうね。周囲で誰もやっていなかったこともやってみようと思った理由です」
若くして就農していれば、試行錯誤も重ねることができる。でも40歳を目前にしてのスタートは、時間との勝負という切実な問題もある。これを解決するには、一直線で勝負するしかない。面積を増やすには省力化の技術を習得することが先決と、直感で判断したらしい。
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和田正人 ワダマサト
和田農場
代表
1967年福島県いわき市生まれ。高校卒業後、土建、運送、保険、工場、ホテル、飲食など多種多様な職種を遍歴し、39歳に就農。脳梗塞で倒れた父の後を継ぎ、専業農家に。現在、経営面積は25ha(食用米、餅米、小麦、小豆)。小豆と麦はコメとの二毛作。就農してすぐから、直播栽培にも取り組む。母、妻は自家製の原料を使った大福餅、お萩、おにぎりなどの加工を担当。地元5カ所の直売所に出荷。稲作経営者会議に所属。東日本大震災以前、阪神淡路大震災(95年)、宮城県沖地震(78年)を経験。モットーは「日本で誰にも負けないファミリー農業」。
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