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「これまで、長老たちから、田舎社会はつながりが大事、近所の助け合いだ、互助の精神だとさんざん聞かされてきました。それが大変なときに、防災の要にもなるという。現実に、原発事故が起きてみて、どうなったでしょうか。逃げて行った家族は一言のあいさつもなく、誰がどこに行ったか誰も知らない。上っ面の田舎きどりなんてなんの意味もありません。行動で示すしかありません」
弱気になったときもあった。放射能の風評被害でコメが売れるのか心配した。収穫期に入ってからは、いわき市に限ってみれば、風評は薄らいできた。検査結果の公表で買い手が安心するようになってきたのだ。
「原発事故で、農家の能力が試されています。『安全・安心』から『安全でない・安心でない』へ、ある日を境に異次元の世界に突入してしまった。ただ冷静になれば、『おいしくて安い』ものが売れる価値観は不変のままです。ならば、安全の担保さえできれば、元の世界に戻れる」
取材をしていると、和田君が「あのとき、大変お世話になった方がいる。ぜひともその人のことを取り上げてもらえないか」と頼んできた。滋賀のAさんのことである。
東京から新潟回りでやっと自宅にたどり着いた和田君は、大地震と大津波の被害の大きさを前に、明日からの生活のことを考えた。ガソリンや食料品が不足して日常生活に支障をきたすに違いないと思った。行政に指示を仰いだり、また行政に頼るのではなく、自分の力で可能な限り事態を解決しようと考え、今度は滋賀県へ車を走らせることにした。大地震から4日目の3月15日のことだった。滋賀には、地震が起きる1カ月前に、全国稲経主催の米国旅行で知り合ったAさんがいた。旅行中、ウマが合うところがあり、よく冗談を言い合っていた仲だ。電話で相手の了解を取りつけ、ポケットに20万円を突っ込んで軽トラックで滋賀に向かった。夜8時に家を出た和田君は、国道49号線を新潟に向かい、そこから大雪の北陸自動車道を乗り継いで滋賀に入った。阪神淡路大震災のときとは逆のコースを走ったのだ。着いたのは翌朝10時。800kmを14時間で走り抜けた。ここでも長距離運転手の経験が役立った。
「現地に着いたら、Aさんはすでにガソリンや食料品を買い揃えておいてくれていました。とんぼ返りができるようにしておいてくれたのです。持参してきた20万円を渡そうとしても、Aさんは受け取ってくれませんでした。それどころか逆に『これ、持って行って』と60万円を差し出してこられました。Aさんの気持ちを地域の人たちにも伝えたいと思い、その全額をいわき市に寄付することにしました。1回しか会っていない方が、なぜこんなに親切にしてくれたのか、いまもそのときに受けた善意を胸にずっとしまい込んであるのです」
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和田正人 ワダマサト
和田農場
代表
1967年福島県いわき市生まれ。高校卒業後、土建、運送、保険、工場、ホテル、飲食など多種多様な職種を遍歴し、39歳に就農。脳梗塞で倒れた父の後を継ぎ、専業農家に。現在、経営面積は25ha(食用米、餅米、小麦、小豆)。小豆と麦はコメとの二毛作。就農してすぐから、直播栽培にも取り組む。母、妻は自家製の原料を使った大福餅、お萩、おにぎりなどの加工を担当。地元5カ所の直売所に出荷。稲作経営者会議に所属。東日本大震災以前、阪神淡路大震災(95年)、宮城県沖地震(78年)を経験。モットーは「日本で誰にも負けないファミリー農業」。
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