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【新・農業経営者ルポ】
大分の大地に足をつけ日本を変革する国士。
- 株式会社西日本農業社 株式会社コディゴロ 代表取締役社長 後藤慎太郎
- 第89回 2011年11月25日
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ひとりの日本人として中山間地の農地を守り抜く
かつて稲葉家のもとで繁栄した城下町は、昼にもかかわらず疲労感が漂っていた。毎年紅葉の季節を迎えると、臼杵市では「竹宵祭り」が開催される。無数の竹製キャンドルに火が灯され、小さな古都をくまなくライトアップするのだ。幻想的な夜に人びとは酔い、語り明かす。筆者が若き“革命家”と出逢ったのは、祭り翌日の週明けだった。
臼杵湾へ揚げられた魚に舌鼓を打ちながら、後藤慎太郎の携帯電話はひっきりなしに所有者の声を求めた。そんな慌しい合間にも、彼のトーンは落ちる気配を見せない。
「高校生から大学生にかけての頃、朝鮮半島情勢の緊張や飼料価格の高騰などをきっかけに、国のあり方、そして国の大本たる農業がどうあるべきか、いろいろ考えていました。 世間では“右翼”と呼ばれるような思想家たちの本を読みあさった時期もあります」
大学卒業後の就職先として、大分市農業協同組合を選んだ。農協で働くことが日本農業を変える近道になるのではないかと思ったからだった。しかし、実際には大学時代に宅建取引資格を取得したこともあり、主に不動産部門を担当し、農地転用手続きや資金融資業務に携わる日々を送る。肚の底で沸々と募る違和感は拭えないままだった。
「同僚の多くは有力な組合員の2代目です。給料がもらえるところとして農協を選んだだけで、農業に対する問題意識もなかった。ボクの居場所なんてありませんでした」
そのような環境に身を置けばこそ農業への思いが高まっていった後藤は、農産物マーケティングを学ぼうと大分大学大学院経済学科に社会人入学を果たした。昼は農協、夜は大学院とハードな2年間を過ごし、2003年春に修士課程を修了する。また修了と同時に農協を退組し、イタリアへ短期留学した。ちょうどスローフードがもてはやされた時代だった。帰国後、直売所「木の花ガルデン」経営で知られる大分市大山町農協に勤めることになったが、わずか3カ月で退めている。
機が熟したことを悟ったのだ。
「いよいよ自分が、現場でやるしかなかったんです」
当時、後藤の父親の益喜は金融業、母親の澄子は人材派遣業を営む個人事業者だった。好きな仕事をしている両親の後ろ姿を見て育ったからか、何らのためらいもなく、自らの志を実現するために起業した。
「実際に地に足をつけて農地を守る、あるいは耕作放棄地を再生することで、日本人としての役割を全うできるんじゃないかと思うようになったんです。地元から離れて都会で悠々と暮らす若者もいます。そんな彼らにも『後藤さんが頑張ってくれてるから田舎は大丈夫だ』と、そう思ってもらえるだけで嬉しいです」
36歳の新風が力強く続ける。
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後藤慎太郎 ゴトウシンタロウ
株式会社西日本農業社 株式会社コディゴロ
代表取締役社長
1975年大分県大分市生まれ。大学卒業後、大分市農業協同組合入組。同組合在籍中に大分大学大学院経済学科修士課程に社会人入学。2003年3月、同大学院修士課程修了とともに大分市農協退組。同年5月イタリアへ短期留学。同年11月大分大山町農業協同組合に入組するも2004年1月退組。同年8月農業生産法人(有)西日本農業社を設立。09年1月(株)コディゴロを設立。水田25haのうち10haをコメ(ヒノヒカリ)、残りを生産調整分として稲わらサイレージ、小麦と雑穀を生産。水田作業受託75ha。畑10ha(ニンニク、ベビーリーフ)。ハウス85aでもベビーリーフを生産。グループ年商は約6,000万円。「尊農王道」が社是。 http://sonnoodo.com/ http://www.codigoro-JApan.com/
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