ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

リスク回避と経営発展のための新天地を探す 続 農場“分散・移転”のススメ

今回の特集は先月号の続編となる。福島第一原発事故の収束までの道のりはまだ長く険しい。そんな中、佐藤雄平・福島県知事が福島県産米の安全宣言を出したにもかかわらず、一部地区のコメからは基準値超の放射性セシウムが検出されるなど、消費者はもちろん、農業経営者に対しても不安と不信を与えている。この混迷続く状況をシビアにとらえ、自らの判断で農場の分散・分散をし始めた経営者がいた。彼らは今、どのような思いを抱えながら新天地に向かおうとしているのか。 取材・文/鈴木工、編集部 撮影/田中智己(なかた農園)

様々な思いを胸に秘め新天地へ向かう福島の農業経営者

CASE 1 郡山市から中国・安徽省へ現地で大規模農業の夢、実現へ●松川 太美寿 アグリ福島有限会社 代表取締役社長

プロフィール:1956年福島県郡山市生まれ。県内の高校を卒業後、通販会社、通信会社でサラリーマンを経験した。27歳で家業を継ぎ就農、有機栽培を始める。2000年法人化。経営規模は畑30ha、主な品目はブロッコリー、トウモロコシ、枝豆、ダイコン、大麦若葉、桑。サプリメント原材料の加工業務も行なっている。

東日本大震災前から農場の分散化に励んでいた松川太美寿氏(福島県郡山市)。県内はもとより、北は北海道、南は沖縄県も視野に入れてきた。ところが今回の事故によって描いた戦略は白紙に。だが、それには新しい絵を描けばいいと考え、中国に進出を模索。農地を確保しパートナーも見つけられた。今、氏が描いた絵にはどんな色が塗られようとしているのか?

【福島第一原発事故の影響で全取引停止の連絡が】

 松川太美寿氏は、もともと農場の分散化に励んでいた農業経営者だ。経営面積は30ha、そのうちJAS有機認証を受けた農場は11haある。しかし、取引先があり契約栽培をしている有機野菜でも、市場の価格暴落とは決して無縁ではない。気象変動リスクもしかりである。そのため、全国各地に農場を確保し、夏は宮城県の蔵王で、秋は地元の福島県郡山市や須賀川市、冬は愛知県内でも小規模だが生産している。さらに今後は、北海道と沖縄県に農場を確保しようと戦略を練っていた。

 そのように事業を着々と進める松川氏を襲ったのが、3月11日に起きた東日本大震災であり、東京電力福島第一原発の水素爆発であった。事故後、松川氏のもとには1年先の契約を交わした取引先から、契約一時中止を伝える書面がファクスで続々と流れてきた。果たして3日後にはすべての取引先から契約をキャンセルする旨の通告を受けた。放射性物質が広範囲にわたって拡散にしたことが明らかになった時には、取引先でもある流通会社のバイヤーの口から「北関東から東北方面の農産物はもういらない」と飛び出したのも聞いた。

 「これで『もうしばらく東北の農業は駄目だな……』って実感しましたね。本当に目の前が真っ暗になった。でもそれがきっかけで、海外でやるしかないんだと腹をくくれたのも事実です」


【10年前から国内市場と海外市場を天秤にかける】

 福島県郡山市に生まれ育ち、約30年前、27歳で脱サラしてから家業の農業を継ぐことになった松川氏は、「父親と同じようなことはやりたくない」と有機農業を始めた。当時は周囲には教えてくれる有機農家もいなかったため、県外の有機農家のもとへ研修に行ったり、あるいは本を読むなどして有機栽培を学んでいったという。ブロッコリー、トウモロコシ、枝豆、ダイコンなどを市場が品薄の時期に出荷できるように計画を立て、自分で営業をかけた取引先に決められた値段で出荷することで、経営を安定化させた。

 さらなる転機が訪れたのは10年前。サプリメントの原材料に使用する野菜無農薬栽培の技術指導を製薬会社から依頼され成功を収めると、松川氏が経営するアグリ福島と業務提携の話が持ち上がり、大麦若葉、桑の葉、ブロッコリーの無農薬栽培による生産と、それらの粉末加工を依頼された。そこで一念発起して投資。郡山市に工場を新設し、年間売り上げの約4割をサプリメント原材料生産およびその加工が経営の柱になっていった。

 しかし松川氏は将来に一抹の不安を感じていた。

関連記事

powered by weblio