ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

リスク回避と経営発展のための新天地を探す 続 農場“分散・移転”のススメ


 移転を決めたのは4月中旬。震災前に一度商談した伊那食品工業(株)等の紹介もあって、長野県伊那市に居を構えた。佐藤氏が農地を確保した地域は開拓地であるものの、兼業農家がほとんどで、遊休農地も増えている。広がるリンゴ畑の中に確保した農地に、佐藤氏はまずモモとサクランボの苗木を植えた。この地域はリンゴの産地ではあるが、モモ、サクランボが栽培されている例はない。これらを選んだ理由は、佐藤氏の得意分野ということもあるが、それ以上に、受け入れてもらった地域に対して利益を還元できないかと考えたうえでの結果だった。

 「伊那市は東京からも、名古屋からもアクセスしやすい場所にあるんです。JA上伊那が中心となってリンゴの木オーナー制度をやっていて、今は他県ナンバーの車ばかりですよ。3年から5年はかかりますが、サクランボが採れるようになったら、もっと多くのお客さんを呼び込めるのではないかと思っています」

 福島での経営は、実家に残っている息子たちにほとんどを任せている一方で、佐藤氏自身は現在、JA上伊那が出資する農業生産法人でアルバイトをするなどして、地域とのかかわりを深めていっている。篤農家から学んだ剪定を中心とした栽培技術を、地域に還元して次世代の経営者育成につなげていきたいとも話す。

 「福島の状況がどうなっているか、あと数年は見守り続けなければいけませんが、自分たちの経営が好転させられるような状況は来ないのではないかと見ています。加工品なら可能性も多少ありますが、生食用は売れないですよ。『桃栗3年』と言いますが、リンゴの場合は10年かかります。だから今の自分の役割は、後継者になる息子たちが、この伊那で働きやすい環境を作ってあげることになります。今回の件で自分の経営者としての役割が変わってしまいましたね」

 経営者として志半ばのことだったろう。苦渋の選択をせざるをえなかった佐藤氏だが、事実を事実として受け止め、次世代に託すべきものは何かを見つめ続けている。

関連記事

powered by weblio