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フーテン人生の無邪気な視点

風景から読み取る農業の歴史



 産業革命以前、いわば囲い込み前に「農業革命」が起きた。牧草地を1年中稼働させるために、品種改良、大量生産、そして大量収穫できるシステムが構築されると、やがて増加した人口は当時勃興しつつあった工業都市に流入した。その頃から農地運営の概念に大きな変化はないので、現在の英国の田園風景は世襲の地主制度とあるいは産業革命がもたらしたものとも言える。

 やがて、その労働力を元に鉄鋼、石炭、貿易などにかかわる新産業を勃興した人々、すなわち資本主義社会の先駆者として、生産、消費、売買を支配する新興成金(新興貴族)が社会に台頭した。彼らの物欲が進行する過程で避けられない典型が箱モノである。聞こえ良く言うと、マナーハウス。19世紀に世界中の富を独占集積していた英国では、新興貴族が土地と建物に続いて、名誉そして血縁へ、という順で欲望の階段を上がって行ったのだ。グロヴナー家など古くからの貴族やウィンザー(ハノーヴァー)家の王室に近づく手続きとして、マナーハウスは地位を示すシンボルであり、人を招くための必須アイテムだったのである。

 彼ら新興貴族の中にも栄枯盛衰があり、今日完全に没落してしまった家族もいれば、東京ドーム10個分以上の敷地に建てられたマナーハウスを相続しても維持費や税金が捻出できず、ホテルやレストラン経営に変わることもあれば、ナショナル・トラストなどの自然保護団体に寄付してしまう家族もいる。

 マナーハウスの一画には当時の自給事情のために必ず畑地があり、そこでは今でも小作人や庭師が働いていて、古き良き時代の景観を保っている。マナーハウスもカルスト台地に連なる農地も、どちらも農業に支えられ今後も継続するであろう英国の心象風景そのものである。英国に行くことがあれば、大聖堂や寺院と同様に眺めていただきたいものだ。

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