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編集長インタビュー

数年後には圃場面積200ha 親子で地域の経営に挑戦する



茂 私の時代は小さいうちから「農業やりなさい」って育てられたものですよ。また、自分でも農業やろうと思っていましたよ。でも学校を出てしばらくは親戚の経営する土建会社や鉄工所だとかに頼まれて行ってました。そこで技術を覚えましたね。

英介 あのガレージは親父が作ったんですよ。

茂 車庫は図面なしで、私の頭の中で作ったんです。全部現場で溶接したのでボルトがないんですよ。頼むと33坪あるので600万円位はかかったでしょうが、100万で済みました。

儲かっていた行商からライスセンター経営へ

昆 実際に農業を始められたのは?

茂 5年くらい外で勤めていたから、25、26歳くらいですかね。その頃、両親は2tトラックで行商していたんです。1週間に行くところが全部あって、1日の売上げが10万円位。夏だけで1000万円以上も売り上げていました。40年前のことですが、野菜の値段は今と変わらない。トマトだってその当時も今と同じで1袋300円。親父の代の10年間くらいは相当お金残りましたよ。

昆 なぜ儲かる行商を継がなかったのですか。

茂 親父やお袋が生きているうちは野菜をつくれるけれど、将来は無理だと思いました。それでライスセンター組合を作ったんです。ちょうど30年前、30歳の頃です。地域には農業後継者がおらず、ほとんどの人はもう自分ではコンバインを買えない、それで、もう一人の仲間と二人で8haくらいですからライスセンター組合とは名ばかりの小規模なものでした。やがて設備が足りず投資をしようと思ったのですが、仲間は借金をする農業は嫌だというので独立したのが平成6年です。今ある乾燥施設の始まりはその頃です。その後、増設をしてきましたが、もうどうにも限界が来ているので、新しい乾燥調製設備を装備することが私の代の最後の仕事だと思っていますよ。

昆 その当時の補助金を含めた投資額ってどのくらいですか?

茂 コンバインも含めて5千万円くらいだったと思います。

昆 ご苦労されているという乾燥調製施設をぜひ見せてください。

茂 狭いでしょう。昔は農地法の関係で農振地区には建築物がたてられなかったからこんな場所しかなくて。悔しいことにこの乾燥施設ができて2年後に田んぼの中に施設を建てることもOKになったんです。

昆 乾燥機は何台ですか?

茂 45石が10台です。最初の5台(45石)は補助金で建てたものなんですけど、お金もなかったので背の高い建屋も作れず、それで、あとは自前で何度か建て増して機械も増やしてきました

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