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フーテン人生の無邪気な視点

心も揺れる日本



 鎖国から開国、江戸幕府から明治政府それぞれの過渡期に流された血、そして命を賭した外交という過程を俯瞰すると、戦後直後の日本が復興する過程で、GHQの機嫌を取りながら行った諸改革と、現在の日本が再びグローバル化に差し込こまれて、既存の国内システムの変革が余儀なくなりつつある現在の状況とは、ある意味共通するのである。

 条約は国内法に優先するだけに、TPPのことで反対派と賛成派が国内で紛糾するのは無理もない。不平等条約撤廃に至る過程でも、井上薫、大隈重信などの失策失政が見受けられるし、当時の彼らも試行錯誤で命賭けだった。たぶん、現閣僚たちも同じ気持ちだろう。史実を眺める後人たちが将来どんな評価をするか、と気にしていたらキリがない。今をもって何が正しいかったか、などと誰が言えようか。日本は国際競争社会のスタートラインに立ちながら、それを無駄にしたこともあったが、逞しくリカバリもしてきた。但し、それは信頼に足る政治家と行政官がいたから、という前置きがある。

 さて、昨今は幸せというフィクションに、それを造りだした人間自身が振り回されている感もある。21歳にして既に完成された人格を有するブータン国王の言動には、その前国王が掲げたNGH(国民総幸福量)にも顕れているように慮りの深さがある。功利主義で我々が築いてきた経済社会とはまったく違う次元の思想を背景にしている。そして、ブータン国王を見ていると、昭和30年代の厳しさの中に共存した日本人の人情が感じられる。我々の価値観はこんなところでも揺れ始めている。食い扶持を求めて、世界がこれだけ厳しい状況にあるだけに、発想の転換が求められている。ある国がエゴを押し通せば、これからはその国が危機に晒されることにもなりかねない。孤立させると全体主義に走る、同盟国同士の密接さが裏目に出る、などと前世紀的な言い掛かりをつけられることはないにしても、歴史は我々に危機のパターンをいくつも教えてくれていると思うのだが……、などとこれも釈迦に説法だろうか。

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