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【北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信】
盛り上げるのも、盛り上がるのも大変
- 西南農場 代表取締役 宮井能雅
- 第44回 2011年12月27日
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自粛で流れてしまったあの時のあのイベント
あっと言う間に1年が過ぎ、新年を迎えることになってしまった。1月号なのでこれからの意気込みでも話すべきなのだろうが、やはり昨年起きたことを書きとどめておくことにする。東日本大震災は600km以上離れ、自然災害が全国平均の半分、ある地方と比べると10分の1以下と言われ、凍死する者が東京23区内のその数よりも明らかに少ない、北海道の農業にも影響することになった。本来は津波や地震の被害と比較するべきことでもないが、TPP参加後の明るい北海道農業の観点からご報告できることがある。
4年に1度、北海道で開催される国際農業機械展。国内の農業関連企業のみならず、主要な海外トラクターや作業機メーカーが集まる大イベントである。戦後わずか2年しか経っていない1847年に帯広市で、闇市のちょっと程度の良いものと勘違いさせるネーミングである「自由市場交換即売会」が開催された。その後、幾度か名称を変え2002年の第30回からは「国際農業機械展in帯広」となり、10年には第32回を迎えることになっていたが、同年春に宮崎地方で発生した口蹄疫の蔓延を防ぐため、無用な国内移動、そして海外からの農業関係者に2次的な被害を与えないために翌年つまり昨年に延期となった。ただ個人的にはどうなのだろうと疑問もあった。
海外でも口蹄疫の発生をよく聞くし、その発生国から国際農業機械展が開催された年に参加者が1名も入国していないのか? 仮にそのような状況で海外からの参加者が入国していなくても、日本人が出入国をしていることを忘れているのだろうか。曖昧さが残る理由付けだ。そして迎えた昨年は東日本大震災の影響? で延期となり、自粛の喪が明ける次回の開催は14年である。この時点で組織のやる気のなさを確信した。
本当に自粛なのか。昭和天皇の崩御時も日本中が自粛ムードたっぷりだったことを記憶しているが、当時も今回と同じような何か違和感があった。ちなみにあの日は、私は成田に向かい、金髪・ブルーアイとの交流事業に燃えていた。
米国では、各地で農業祭と同時に農業機械展が行なわれる。そのひとつである、毎年2月10日頃、カリフォルニア・ツーレアで開かれる農機展の機械は素晴らしい……と言いたいところだが、正直言って物足りない。なぜなら展示されるものの半分は野菜、林業関係なので、私の経営とは結び付きにくいからである。が、面白いのだ。
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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