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新・農業経営者ルポ

私、今は農外所得の方が断然多いですが、それが何か?

この男、ものすごい数の資格と肩書を持つ。農業大学校非常勤講師、日本GAP協会理事、宅地建物取引主任者、有機JAS食品検査員、ISO9001主任審査員などなど……。生計を立てているのはこちらの関係の仕事がほとんどだ。では農業経営をしていないのか? 否である。国産サンショウの一大産地に山林地主の孫として生まれた彼が立ち上げた新規事業構想とは何か。 取材・文・撮影/紺野浩二(編集部) 写真提供/服部一成

 「よそ者、バカ者、若者が農村を変える」という言葉、これまでの本欄でも何度も使われてきたのではないかと容易に想像できる。でも、この3つの条件をすべて兼ね備えた、“農業青年”なる人々は、本当に少ない。

 この数年間、筆者は『アグリズム』の編集に携わり、全国各地の農業青年を取材してきた。彼ら彼女たちを思い起こせば、年齢的には若くても将来を見据えしっかりと人生を考えているし、生真面目という印象を与えてくれる人ばかりだった。その存在に、感動を覚えさせられた。しかし一方では、「もっとギラギラしないと、人生つまんなくね?」「農業を変えると言いながら、自分自身も含めて本当に変化しようとしてるの?」と、問い詰めたくなったりすることも、ままあった。筆者が前職において芸能界や風俗業界特有の“成り上がり”エナジー丸出しの人々がきわめて身近にいたから、ピュアすぎる人柄に触れると余計にそう感じるのだろうが、やっぱり多くの農業青年には“おバカ度”が足りない。夢や理想、もっというと成り上がろうという欲と一体になった、おバカ度が。

 だが、この服部一成、筆者からすれば、先述の3条件を持つ希有な若者、農業青年なのである。もっとも不惑という年齢ゆえに、「おいおい若いのか?」というツッコミが入るかもしれない。が、農業界では、たしか50歳ぐらいまで若造呼ばわりされていたはずだ。その慣習に免じてご許容いただきたい。


学習塾をやめ農業経営へ 勉強漬けの毎日を送る

 服部は、和歌山県内で最大の個人山林地主だった服部善次郎の孫にあたり、現在は50haの山林を管理している。祖父が戦後から昭和40年代半ばまで買い集めた山林の大半が有田市清水地区にあり、そこから真言宗総本山である高野山まで連なる山々を服部家は所有していた。一方で祖父は手広く商売を広げ、映画館経営や蚊取り線香の原料となる除虫菊の売買で財をなした。服部の父も山林を管理するかたわら、学習塾を経営していた。

 高校卒業後、成城大学経済学部に進学した彼は、体育会系のアーチェリー部に所属、関東大会で入賞するなど活躍するとともに、四大学体育部学生連盟の委員長として多くの学生をまとめる立場にあった。

 「アーチェリー部も体育部学生連盟も歴史が古く、年齢の離れた先輩との交流が結構あったんです。あそこで人付き合いを学びましたね」

 就職先に選んだのは、中堅ゼネコンだった。様々な部署を経験したが、それぞれの部署で専門的な知識と交渉技術を身につけ、現在でもその時の経験が活動の礎となっている。

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