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新・農業経営者ルポ

農業経営者は誰から学び何に励まされるのか?

少子高齢化が進み労働人口の減少が加速する中、相も変わらず農業の担い手不足に対する危機感が声高に叫ばれている。しかし、農業は家族経営から一歩踏み出せば、社会経験豊富な高齢者、新規就農を目指す若者、家庭の主婦など、多様な労働力と雇用体系を組み合わせることで事業を成長させることができる強みを持っている。取材・文/芹澤比呂也 撮影/並木訓(編集部) 写真提供/若谷茂夫

 「200ケース、間に合いそう?」

 「社長、このペースだとちょっときつい感じですね」

 「ありゃ、ここは花芽が伸びてきちゃってだめだな」

 「こっちの畝から先に入りましょうか」

 日々生育状況が変化する小松菜の収穫時期を従業員とともに見定めると、若谷は携帯電話を片手に、せわしなく出荷作業の段取りを始めた。まだ冷たい午前中の空気がにわかに熱を帯び始め、春分間近の陽射しが圃場全体を温めていく。ハウスと露地栽培を合わせると4.8haある畑を飛び回り、今日も30名の従業員たちと声を掛け合いながらの収穫作業が始まる。

 昨年還暦を迎えた若谷は、14代続く農家の長男としてこの地に生まれた。農業高校を卒業すると、親から譲り受けた水田1.8ha、くわい田60aを中心にした家族経営に加わるが、その後、様々な野菜の栽培を経験しても今ひとつ本腰が入らず、自分がどんな農業をしていけばいいのか模索の日々が続いていた。

 「このままでいいのだろうかと鬱々としていた時、親戚の紹介で東京の葛飾区で小松菜を作っていた農家をたずねたんです。その瞬間、これからの近郊農業は葉物野菜だと確信しました」

 34歳になっていた若谷は、田んぼを徐々に減らしながらハウスを建てて、小松菜栽培に取り組み始めた。1993年には、年7~8回転の周年栽培できる体勢にまでこぎつけた。当時の東京市場での小松菜の市況を確認してみると、入荷量は、80年代半ばに1万1000トンのピークをつけ、その後減少し、90年代になると再び増加傾向となる。一方で、単価は品薄になるにつれて230円から240円台へと上昇し、入荷量が増えだした後も更に高値が続いていた。若谷の読みは見事的中し、その後の拡大路線もマーケットの動向にピタリとはまっていたのだ。こうなると、さすがに家族経営では手が回らなくなる。当時の売上は数千万円程度。次なる目標をどこに定めようか考え始めた時に、目を釘付けにしたものがある。それは、農業経営者ルポ第29回にご登場いただいた石川県で小松菜を栽培している中本正弘の記事だった(2001年11月号http://agri-biz.jp/item/detail/1923)。

 「『農業だって億万長者、夢は従業員とともに』というタイトル、インパクトありました。他産業並みの事業にするためには人を雇って規模を拡大しないと家族経営では無理だと書かれていました」

 該当頁を開くと、若谷はびっしりとアンダーラインを引き、欄外にはメモを書き込んでいた。

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