記事閲覧
【新・農業経営者ルポ】
農業経営者は誰から学び何に励まされるのか?
- 有限会社若谷農園 代表取締役 若谷茂夫
- 第93回 2012年03月29日
- この記事をPDFで読む
「200ケース、間に合いそう?」
「社長、このペースだとちょっときつい感じですね」
「ありゃ、ここは花芽が伸びてきちゃってだめだな」
「こっちの畝から先に入りましょうか」
日々生育状況が変化する小松菜の収穫時期を従業員とともに見定めると、若谷は携帯電話を片手に、せわしなく出荷作業の段取りを始めた。まだ冷たい午前中の空気がにわかに熱を帯び始め、春分間近の陽射しが圃場全体を温めていく。ハウスと露地栽培を合わせると4.8haある畑を飛び回り、今日も30名の従業員たちと声を掛け合いながらの収穫作業が始まる。
昨年還暦を迎えた若谷は、14代続く農家の長男としてこの地に生まれた。農業高校を卒業すると、親から譲り受けた水田1.8ha、くわい田60aを中心にした家族経営に加わるが、その後、様々な野菜の栽培を経験しても今ひとつ本腰が入らず、自分がどんな農業をしていけばいいのか模索の日々が続いていた。
「このままでいいのだろうかと鬱々としていた時、親戚の紹介で東京の葛飾区で小松菜を作っていた農家をたずねたんです。その瞬間、これからの近郊農業は葉物野菜だと確信しました」
34歳になっていた若谷は、田んぼを徐々に減らしながらハウスを建てて、小松菜栽培に取り組み始めた。1993年には、年7~8回転の周年栽培できる体勢にまでこぎつけた。当時の東京市場での小松菜の市況を確認してみると、入荷量は、80年代半ばに1万1000トンのピークをつけ、その後減少し、90年代になると再び増加傾向となる。一方で、単価は品薄になるにつれて230円から240円台へと上昇し、入荷量が増えだした後も更に高値が続いていた。若谷の読みは見事的中し、その後の拡大路線もマーケットの動向にピタリとはまっていたのだ。こうなると、さすがに家族経営では手が回らなくなる。当時の売上は数千万円程度。次なる目標をどこに定めようか考え始めた時に、目を釘付けにしたものがある。それは、農業経営者ルポ第29回にご登場いただいた石川県で小松菜を栽培している中本正弘の記事だった(2001年11月号http://agri-biz.jp/item/detail/1923)。
「『農業だって億万長者、夢は従業員とともに』というタイトル、インパクトありました。他産業並みの事業にするためには人を雇って規模を拡大しないと家族経営では無理だと書かれていました」
該当頁を開くと、若谷はびっしりとアンダーラインを引き、欄外にはメモを書き込んでいた。
会員の方はここからログイン
若谷茂夫 ワカヤシゲオ
有限会社若谷農園
代表取締役
1951年埼玉県浦和市(現・緑区)生まれ。69年埼玉県立杉戸農業高等学校卒業後、就農。稲作1.8ha、くわい田60aを親から引き継ぐ。85年頃より近郊農業での葉物野菜の可能性に注目し、93年頃には小松菜の周年栽培を確立。02年農場を法人化。現在の経営規模は、小松菜(露地)4ha、小松菜(ハウス)80a、くわい田60a。出荷先はJA全農さいたま、浦和中央青果市場、百貨店、割烹料亭、地元小・中学校給食向けなど。正社員4名、パートタイム従業員25名。06年埼玉県知事より埼玉県農林業賞受賞、大日本農会総裁、桂宮宣仁殿下より緑白綬有功賞受賞。
農業経営者ルポ
ランキング
WHAT'S NEW
- 有料会員申し込み受付終了のお知らせ
- (2024/03/05)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)