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人生・農業リセット再出発

ライト兄弟より前に飛行機を飛ばした日本人!

兵隊が捨てたゴミをあさりに降下してくるカラスの動きに目を奪われた。固定翼でも自由に飛ぶことができる、前進させる動力があれば人間も空を飛べるかもしれない! 陸軍に入隊して2年、23歳の二宮忠八は興奮した。

 兵隊が捨てたゴミをあさりに降下してくるカラスの動きに目を奪われた。固定翼でも自由に飛ぶことができる、前進させる動力があれば人間も空を飛べるかもしれない! 陸軍に入隊して2年、23歳の二宮忠八は興奮した。

 忠八は明治維新の2年前の1866年に愛媛県八幡浜の裕福な商人の四男として生まれるも、家は没落し、小学校へも通えない極貧の少年時代を送る。だが、格段に高く舞い上がり、空からビラをまける“忠八凧”を次々と作ってみせ、町の人たちを驚かす発明少年だった。10歳で、楓の実が回転して落ちるのを見て、羽だけで飛ぶ竹トンボや、さらに高く飛ぶ4枚羽を発明。21歳で好奇心旺盛の志願兵になると、薬剤問屋で小僧として仕事していたときの知識が買われ、陸軍衛生部看護兵に合格する。

 一方で、カラスの滑空が頭から離れず、角度などの理屈に思索を巡らせていた。気づいたのは上下二枚の堅い羽を両側に持つ玉虫の飛び方だった。休日に大きな番傘を差して橋の欄干から河原へ飛び降りる実験を何度もする。推進力さえ整えば必ず飛べると確信を強めた。空を飛ぶ器械、“飛行器”という名称にしよう!

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