記事閲覧
【新・農業経営者ルポ】
男はオランダと出会い農業のあり方を学んだ
- 有限会社長谷川農産 代表取締役 長谷川光史
- 第94回 2012年04月24日
- この記事をPDFで読む
春の嵐が吹き荒れる中、厚い扉を開けて栽培室に入ると、耳につく風雨の音がピタリと止んだ。施設の栽培室は6つに分かれ、クリーンルームの室内はコンピュータで各室が最適な温度・湿度に管理されている。
マッシュルームは90%が水分と言われ、無農薬・無漂白なら手で触れただけで色が変わる。ホワイト種が主流で変色を嫌う国内市場で一般に流通するのは、栽培中に漂白剤を噴霧したり収穫後に漂白作業をしたりするものがほとんどだという。水道水に漂白剤が混じっているため、地下50mから汲み上げた天然水を利用している。この深さなら土壌汚染の影響を受けることもない。
「どうぞ生で食べてください」と言われた筆者は、まずホワイトマッシュルームを口に入れた。コリコリした歯ごたえの後に旨みが口の中に広がる。ブラウンは香り、コクが深い。
約25年前、作物の転換を模索していた長谷川はオランダでこの感動を味わっている。本場のマッシュルームづくりを通じた農業先進国オランダとの出会いが、彼を農業経営者へと進化させることになる。
農薬不使用の作物を模索 オランダに行き着く
長谷川は当時、富士市に2軒しかなかったキャベツ専業農家の長男として生まれた。県立の農業短大卒業後の20歳で就農。祖父の代に始めたキャベツ栽培は、標高差のある4haの農地を利用して8ha分を生産するまでに拡大していた。家族5人で年間3万5000ケース以上を出荷する県内有数のキャベツ農家だった。
「出荷量が多いため売り方も他とは違っていて、農協や市場の競りには出していませんでした。契約栽培ではなかったのですが、即席めんの食材や整腸剤の原材料としてメーカーに販売したり、スーパーのバイヤーと夜中に会って値段を決めて売ったりしていました」
だが、父が病に倒れ、家族経営の限界が露呈する。祖母が入院し、母も農薬アレルギーで体調を崩した。長谷川にも農薬アレルギーの症状が出ていた。
慣行栽培から有機農業への転換を模索し始めたものの、失敗。かといって4haの畑をフル活用できる作物が簡単に見つかるはずもなかった。
会員の方はここからログイン
長谷川光史 ハセガワアキチカ
有限会社長谷川農産
代表取締役
1956年、静岡県富士市生まれ。静岡県農業短期大学卒業後、就農。祖父、祖母、父、母と5人で4haの農地での稲作と畑作。標高差を利用して年間に8ha分を出荷する県内有数のキャベツ農家。家族経営の限界に直面し、有機農業への転換を図るため、オランダに花卉の農業研修へ。そこで食べたマッシュルームの味に感動し、本場の味を日本に広めることを決意、90年、有限会社長谷川農産を設立、代表取締役に就任。91年にマッシュルーム専門学校(CCO)の外国人向け短期集中講習の初級コースに入学。92年よりマッシュルーム作りを開始。従業員数37名(パート含む)。年商約2億5000万円。
農業経営者ルポ
ランキング
WHAT'S NEW
- 有料会員申し込み受付終了のお知らせ
- (2024/03/05)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)