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Opinion

苦境は逆転の好機 消費者に打ってでよう((株)デーリィーファーム宮坂代表取締役 宮坂隆男)

編集長から:本記事は農業共済新聞1988年9月1日号に掲載された寄稿文の転載である。25年前に農業自由化についてこれだけ真っ当な主張が農家から出されていたことに驚く。同時に、本記事は、今のTPP騒ぎをみてわかるとおり、25年間、農業界は何も変わってこなかったことの証でもある。今こそ、宮坂氏のオピニオンに耳を傾けてほしい。次号に氏の最近の提言を掲載する予定だ。

 私は北海道の根釧台地、別海町で酪農を営むものです。加工原料乳を生産する酪農専業農家であって、私の立場は日本農業の中ではかなり特殊なものであるのはわきまえているつもりですが、私なりに、現在の農業、とりわけ酪農について述べたい。

 輸入の自由化、すなわち経済的国境の消滅化、消費者ニーズの多様化等、酪農を取り巻く環境は急激で否応のない変化が起きている。私たちは、流れにおぼれることなく、この逆流にいかに対処してゆけばよいのだろうか。生産者も消費者も、現状の姿が、今の時代に合ったものとは必ずしも考えていないはずである。

 そこで、今までの状況を反省してみよう。専業酪農は現在まで、行政のリードによって拡大発展してきたといっても過言ではあるまい。生産者は半ばマーケットを無視しながらも営農を続けていられたのである。不思議な話ではある。そこに一九八〇年代に入り、各種の農業批判、改革論が続出、最近ではタレント風オピニオンリーダーもが、コピー的農業批判・改革論をマスメディアを使って展開し、かしましいほどである。加うるに米国からの自由化要求がある。こうした一連のマスコミの流れに、消費者が、日本農民は何かずるくうまい汁を吸っているのではと、疑いを持ったとしても仕方のないような風潮ですらある。

 しかも、こうした批判には一面の真実があって、それが私に苦い思いをさせるのである。生産者、とりわけ専業酪農家は、今まで自らの生産物につき、消費者に対し何らかの積極的なアピールをしたことがあったろうか。今こそ、農業者自身が、広く消費者に、生産物を通じ、国内農業の依存を品質、価格、安定供給を強く訴えてゆく努力をしなくてはならない。そうでなくては日本農業の未来はない。

 さらに、生産者は余りにも行政や農協等、上から下に流れてくる指導や情報を頼りに営農してきたのではあるまいか。生産者自らが情報を収集し、選択して、自分の経営の戦略を立てるという当たり前のことにまず立脚すべきではあるまいか。

 ここ数年来は生産過剰だからと生産調整を押しつけられ、本年は不足だと言って緊急増産である。猫の目農政、農協指導の失敗と批判をするのは容易だが、経営責任は自分にあるのだと腹を据えてかからなければなるまい。行政についても言いたいことはある。今までは余りにも、その場限りのマッチポンプ的対応に汲々としてきたと言えないか。自由化という瀬戸際が目前にきているのだ。農産物および農業生産資材の流通システム、関連法に及ぶ抜本的な改革が必要なのではないか。ここ数年の円高メリットにしても、生産者はどれだけその恩恵にあずかったろうか。システムが改善され、もう少し風通しが良くなって、農家の自助努力とあわせて農家全体の体質強化がなされることを切に望む。

 昨今の農業に対する批判、自由化圧力等は私たち農業者のとり、逆転して考え、好機としてとらえなければならないのではないかと思う。時代の流れはまさしく変わったのである。農業は注目をあびている。国民はかけがえのない食料に対し、農民、農村に対し並々ならない関心を寄せている。あの大国米国がソニーやトヨタでなく、日本の米や肉、乳製品に対し、ゴリ押しともとれる要求をつきつける。突如スポットライトをあびたように膝を震わせていても未来は開けない。今こそ、農民の立場を、現実を国民にアピールする好機ととらえるべきではないか。

 今、酪農家は、はっきりと自由化を前提として経営設計せねばならない。そしてそれは、マーケットを意識し把握し、さらに働きかけることを必須の条件としよう。その時に、消費者も日本農業の発展につき応援を惜しまないものと信じるものだ。

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