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【エクセレント農協探訪記】
徳島県・里浦農協
- 土門剛
- 第5回 1995年10月01日
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初春の頃、鳴門市に近い徳島空港を飛び立つと眼下の畑に黒い筋が何本も走る。マルチをかけた後の甘藷畑である。それが葉の出てくる頃には緑色に変わっていく。東京の市場で絶大な人気を博する鳴門市里浦産「鳴門金時」の産地風景である。
里浦地区での甘藷作りの歴史は戦前に遡る。京阪神地区の甘藷の産地だった兵庫県尼崎市の海岸地区は、昭和の初期に次々と工業用地に姿を変えていった。その代役を果たしたのが、淡路島を隔てて海の向こうの鳴門市近辺の砂浜地帯だった。戦争中は、米同様に甘藷も供出物資となった。
食糧事情も好転すると、甘藷にも質の向上が求められた。当時、西日本で甘藷の有名産地は、「よさこい金時」を作っていた高知県だった。金時とは、そのイメージ通りに中身の赤い甘味のある品種である。
里浦地区が甘藷で日本一の産地になるのは、20年はど前のことである。高知県農業試験場が育成した「高系14号」という品種を導入、これから系統選抜したのが里浦の土壌にピッタリと合ったのだ。里浦の甘藷を日本一に押し上げた里浦農協の百井八重次組合長は、
「ご覧の通り、里浦は海の近くで畑は砂地なんだ。しかも水がないから西瓜は作れない。もともと夏は甘藷しかできなかった。昔から夏は甘藷一本、冬は麦だったと聞くよ。その麦は戦後間もなくダメになってしまった。それで大根に切り替わったんだ」
と説明してくれた。
里浦の土は、大根を作ってもすらっとした高品質のものができるらしい。もともと農業に適した条件があって優良産地になったケースもあれば、ハンデキャップを追いながら産地を形成したケースもある。里浦は後者のケースだろう。
里浦地区での甘藷作りの歴史は戦前に遡る。京阪神地区の甘藷の産地だった兵庫県尼崎市の海岸地区は、昭和の初期に次々と工業用地に姿を変えていった。その代役を果たしたのが、淡路島を隔てて海の向こうの鳴門市近辺の砂浜地帯だった。戦争中は、米同様に甘藷も供出物資となった。
食糧事情も好転すると、甘藷にも質の向上が求められた。当時、西日本で甘藷の有名産地は、「よさこい金時」を作っていた高知県だった。金時とは、そのイメージ通りに中身の赤い甘味のある品種である。
里浦地区が甘藷で日本一の産地になるのは、20年はど前のことである。高知県農業試験場が育成した「高系14号」という品種を導入、これから系統選抜したのが里浦の土壌にピッタリと合ったのだ。里浦の甘藷を日本一に押し上げた里浦農協の百井八重次組合長は、
「ご覧の通り、里浦は海の近くで畑は砂地なんだ。しかも水がないから西瓜は作れない。もともと夏は甘藷しかできなかった。昔から夏は甘藷一本、冬は麦だったと聞くよ。その麦は戦後間もなくダメになってしまった。それで大根に切り替わったんだ」
と説明してくれた。
里浦の土は、大根を作ってもすらっとした高品質のものができるらしい。もともと農業に適した条件があって優良産地になったケースもあれば、ハンデキャップを追いながら産地を形成したケースもある。里浦は後者のケースだろう。
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
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