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新・農業経営者ルポ

ブランド産地の可能性を探る即行動の農村経営者

JAみっかびは総合農協でありながら、実態は「三ヶ日みかん」の販売事業を中心に運営される専門農協に近い。後藤善一はいち早く農道作業方式への転換などに取り組み、地域有数の農業経営者に成長した。現在は同JAの代表理事専務として「売るための仕組みづくり」に奔走する。ブランド産地としての強さとトップランナーゆえの経営課題に迫る。取材・文/清水泰、昆吉則 撮影/並木訓 写真提供/JAみっかび

 静岡県西部の県境、浜名湖に臨むエリアに位置する三ヶ日町。一般的には「三ヶ日みかん」の産地として全国的に有名だ。しかし、昭和20年代の経営破たんをはじめ、ブランド産地を支えるJAみっかびの特異性を知る人は業界でも少ないのではないか。

 JAみっかびの特異性はまず経営者の成績表である財務諸表に顕著に表れる。販売事業の割合が圧倒的に大きく、農畜産物の売上げ約90億円のうち、8割超をみかんが占める。ここ30年ほどは毎年、組合員に総額数千万円単位の配当を行っているのだ。

 健全な財務体質、ブランド産地の確立を可能にする強さの秘訣を端的に言えば、いわゆる農業政策からも組合員である農家からも一時期は「守られなかった」環境にある。奥浜名湖の温暖な気候と、岩の多い古生層の土壌に恵まれたこの地でみかん栽培が始まったのは、江戸中期に遡る。戦前は養蚕、戦後は畜産とみかんの複合経営、そしてみかん(柑橘)中心と、市場の変化に応じて主要作物を転換させてきた。

 一方、管内耕地面積約2000haの水田の割合は7%強にすぎない。そもそもコメに依存していないから、保護の対象にならないのだ。

 農家から過度に守られなかった理由は、昭和26年の経営破たん(貯払い停止)だ。組合員は貯金が引き出せなくなったのに加えて、経営再建のため追加の資金提供を余儀なくされた。農協に対する信頼は損なわれ、監視の目も厳しくなるから、経営者は二度と失敗できない。しかも、3年後の業務再開までに農家は農協を通さない出荷を増やしており、農協にはBクラス品しか集まらなかったという。

 60年には農家主導で「三ヶ日町柑橘出荷組合」をつくり、みかん販売事業の強化に乗り出した。だが、生産者の加入率は約12%に止まった。農家、地域に対して自らの存在意義を自らの行動と結果で示す必要に迫られていたのである。

 そのため農協経営を担う代表理事の組合長、専務のトップ2人は、歴代、専業農家の成功した農業経営者の中から選ばれる。職員OBや農家が名誉職的に就いたことはない。経営破たんの要因が戦前に宮内庁に勤務していた組合長の放漫経営だったことの反省から生まれた慣例でもあるのだろう。


変化に対応できる農家・農協は生き残る

 現組合長の森田繁男も専務の後藤も、三ヶ日で成功した農業経営者の一人である。森田はみかん農家から大規模投資の決断を下してブロイラー農家に転身。事業を発展させた成功体験を持つ。後藤は父から譲り受けた5haのみかん園地を8haに広げ、地域のスタンダードとなっている生産・貯蔵・出荷方式を独自の試行錯誤を通じて確立した。

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