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新・農業経営者ルポ

ブランド産地の可能性を探る即行動の農村経営者



 二人に共通する成功のポイントは、現状に満足せず時代や顧客ニーズの変化に対応しようと自らの意思で変革を選択し、結果が出るまでやり続けたことだ。もちろん農業経営と農協経営は同列には論じられない。だが、「守られない」JAみっかびは失敗や危機を糧に変化に対応することで存続・発展してきた。

 三ヶ日みかんが全国区になるきっかけは東京市場での高評価だった。これは出荷組合の苦戦を受け、新たな市場を求めて試行的に東京へ出荷した結果だ。最初から勝算があったわけではない。現在の主力品種「青島温州」の普及も、極東寒波の影響により在来品種で被害を被った生産者と農協が導入を促進したことに由来する。

 また、2001年に、28億円の投資を行い光センサー式の選果システムを導入。収穫されたミカンは、生産者の貯蔵・選果を経て選果場に出荷される。選果場では、一個一個の糖度と酸度を光センサーで測り、大きさや品等別に箱詰めされて出荷する。バーコード管理による出荷後のトレーサビリティにも活用している。カナダへの輸出もこの年に開始した。

 「過度な着果は樹の寿命を短くするなど、農家の中長期的な利益と一致しないこともあるので、生産者にはJAみっかびが定める大きさや階級別の単価×数量の代金を支払っています。客観的な評価が可能になったことで、農家側には増収条件が明確になりました」

今秋の収穫期までに、8億円を投じてセンサーを腐敗果の選別精度が高い最新式に交換する予定だ。

ブランド消滅を避けるため農協合併への参加を断念

 今でこそ後藤はJAみっかびの組織・意識改革の先頭に立つが、元々、農協経営に強い関心があったわけではない。むしろ「関わりたくない」というのが後藤の本心だった。かつて後藤の父は95年から98年まで組合長を務めていた。

 当時の重要な経営課題は、浜松市とその周辺15農協の合併問題であった。信用・共済事業が収益の柱の総合農協はバブル崩壊以降、規模拡大による組織の生き残りを図ろうとしていた。一方のJAみっかびは、三ヶ日みかんの販売事業がメインの専門農協的農協である。

 組合員の賛否が分かれるなか、後藤の父も組合長として合併協議会に参加し、一時は合併で話がまとまりかけたという。しかし、最終的には「『三ヶ日みかん』のブランドが消滅してしまう」と断念。単独農協として存続する道を選んだ。

 「農協合併を批判するつもりも総合農協の必要性を否定するつもりも毛頭ありません。ただ、農協のあり方は地域の事情などによって異なるはず。みっかびが新しいモデルの一つになれたらと今は思います」

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