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座談会

読者座談会 時代に合わせて変化できる常に挑戦し続ける経営力とは


昆 ところで、ジャガイモを紹介したきっかけは集落営農やJAがどうにもならなくなって、助けを求めてくるような話が来たということでしたね。あれはいつ頃でしたか?

手島 平成15年の品目横断ができた頃でしたね。翌年にカルビーの話を聞いて、ジャガイモの収穫初めが平成17年でしたから。

松隈 私たちもその当時、集落営農で全部小さい農家がまとまったら田んぼを増やせないという危機感があったんです。それに、集落営農によって水の管理をするようになったら、自分たちが自由に作物を作れなくなる。それだったら自分たちが実権を握れば自由に作れるんじゃないかという発想だったんです。農家が集まってカントリーを作っているのですが、そこ自体も作りきらないというわけです。どうせ動かせないのならば、自分たちが動かそうと。

昆 でも、現場でやらせてみたら、結局誰も作れなくて、皆さんに頼ってしまっている。農協側からすれば困った連中なのに、向こうから言って来たのか、こちらから働きかけたのか、どちらなんですか?

松隈 いや、両方だと思います。今は私にも手島君も後継者がいるから問題ないんですよ。その当時はいなかったから、病気になったら、うちの経営は誰がしてくれるのかという怖さもありましたし、それなら、共同乾燥施設を残したらいいだろうという気持ちもあったんです。今みたいに後継者がどこにでもできるとは思っていなかったから。

昆 皆さん方にしても、後継者が本当に来るかどうかという不安感もあったんですか。

松隈 いや、不安もあったし、はっきり言って、こんな農業を継いで苦労させるよりは、会社行ってずっと続けるなら、その方ががいいのではないかと思っていました。でも、それと同時に終身雇用制度がなくなって会社がどんどん潰れるようになって、それは農業だけでなくて、会社も危ないと思った頃に息子から会社をやめて農業をすると言われたので、それならという感じですよね。

手島 キツイ仕事をなんでオヤジが押さえつけるんでしょうか。継げと言わなくてもなぜか跡を継ぐようになってきましたよ。

昆 息子さん方は農業をやれと言われたわけじゃないでしょう?

手島(拓) 言われてはないですね。

松隈(裕) 昔から兄弟のうちの誰かはやらなくてはいけないと思ってました。30歳過ぎくらいからでいいかなと考えていたんですが、カルビーの話が来て、それならもう始めようかと思って。要はコメ・麦・大豆からスタートすると勉強ができない。もう栽培方法が、ほとんど出来上がっているんですよね。自分が仕事を持っても、親からまず反対されるでしょう。私がやる価値はないですよ。言われたことだけすればよくて、勉強にならないんです。

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