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フーテン人生の無邪気な視点

「アルプスの少女」が舞い降りた日本

1970年代初め、日本で生まれた不朽の名作アニメーション「アルプスの少女ハイジ」が、実際にスイスを視察した宮崎駿氏らによって制作された作品であることはよく知られていると思う。後年、同作品は「日本人が作ったものとは到底思えない」とスイス人から評価を受ける。無論ほめ言葉である。

 1970年代初め、日本で生まれた不朽の名作アニメーション「アルプスの少女ハイジ」が、実際にスイスを視察した宮崎駿氏らによって制作された作品であることはよく知られていると思う。後年、同作品は「日本人が作ったものとは到底思えない」とスイス人から評価を受ける。無論ほめ言葉である。

 「アルプスの少女」が日本で初放映された頃、中学生の私は同級生たちが話題にするので何となくテレビを見ていた。そして、不覚にもアニメごときに心打たれてしまった覚えがある。特に、ハイジの祖父アルム・オンジの人柄の変化に興味を持った。偏屈な老人がハイジに情を移し、孤独からハイジとの関係確立を経て、気ままな自己中心的生活からハイジのためにと変化していくその過程が興味深かった。スイスの寒村を支える社会構造の柱が最近流行の「絆」とすれば、子育てのためにオンジもその柱に寄りかかっていったという解釈も可能だし、一人のスーパー少女が世間から隔絶した老人の人間性を復活させたとも言える。そのあたりの解釈の幅の広さが長年の牧歌的人気の理由なのだろう。

 また、山の中腹にあるオンジの小屋まで歩けないクララ嬢を座輿に乗せて運ぶ人夫たちの姿から1880年頃のインフラが伺われる。当時のスイスはまだ観光立国とは言えない。

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