記事閲覧
【座談会】
読者座談会 父を超えるかどうかより農場のさらなる発展こそが後継者の使命
- 編集部
- 2012年06月15日
- この記事をPDFで読む
昆吉則 世代交代、昔からこのテーマはあるんですけれど、どうやって親が作ってきたものを受け継ぐのか。頑固な親父ほどいろんなことをやっただろうし、それゆえに息子の側が遠慮してしまったり、頑固親父が余計な口出しをしてしまったり、親子は案外、難しいところもありますよね。
瀧島敦志(子) 最近うちに訪ねてくる方々、同じ世代も多いのですがそういう声を多く聞きますね。
トラクタ導入とニンジン栽培で大きく転換した父の代
昆 実は親の知恵というのは、その風土の中にある農家の知恵でもあって、本に書いてある知識以上に価値のあることも多いと思いますが。まず、瀧島さんがこちらで農業を始めて、代替わりをした辺りのことから聞かせてください。
瀧島秀樹(父) 私が嫁いだのは28歳のときです。農機販売店に工場での研修から営業セールスまで合わせて9年間勤めていたのを辞めて来ました。就農当時は、はだか麦と落花生、ホウレンソウ(種子)、サツマイモを3.2haで作っていました。
昆 今の面積はどのくらいですか。
敦志 そんなに変わらないですよ。自畑は3.5ha、借地は2ha強で合わせて6ha強を回しています。
昆 いろいろ変遷がおありかと思いますが、「ニンジンの瀧島さん」になられたのはいつ頃からですか?
秀樹 ニンジンを始めたのは昭和60年頃だったかな。その前にヤマトイモをやっていましたが、スパッとやめてニンジンに切り替えたんですよ。ヤマトイモは少し特殊で人手を入れられないので、広げられなかったですね。
昆 その時、先代も農業をされていたんですか?
秀樹 先代は「60歳になったら手伝いはするけれど経営は譲る」という考えで、私は45歳で引き継ぎました。その時点でニンジンに目をつけて方向を変えました。一つの機械で何でもやれるわけではないですし、大きな冷蔵庫を持っていたので、365日なくてはならないものということで選んだのです。
昆 就農された頃の機械はどのレベルだったんですか。
秀樹 耕うん機ですよ。私が来て5年目に初めてトラクタを導入しました。イセキの24馬力で、サブソイラもセットで。当然、踏圧がかかって硬盤ができてくる。しかもロータリしかついていない。プラウもまだ関東には来ていなかったので、サブソイラで硬盤を破っていました。
昆 あの頃に耕うん機から、24馬力のトラクタに一気にステップアップしたのは凄いですね。
秀樹 その当時で、ロータリをつけて120万円くらいでした。
昆 その頃の大卒の初任給が3~4万円だったから……。
会員の方はここからログイン
編集部
座談会
ランキング
WHAT'S NEW
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2020/12/17)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2020/08/07)
