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“被曝農業時代”を生きぬく

酒からは放射性物質を除去できる 後世に3・11を伝える酒造りで農業生産の復活を!

今回は、酒類品質管理の第一人者、大久保順朗氏に寄稿をおねがいした。かつてチェルノブイリ原子力発電所事故後の、ヨーロッパのブドウ産地の対応、ワイン業界が講じた放射性セシウム対策をつぶさにみてきた著者が、被災した日本の農業経営者に対しあらたな酒造り・酒原料生産の将来ビジョンを提言する。

・大久保順朗酒類品質管理アドバイザー
プロフィール:おおくぼ・よりあき● 1949 年生まれ。22 歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩としてワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、酒類の輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。

酒屋だから知っている原発事故への対処

 私はもともと酒屋であり、農業関係者ではない。しかし、昨年3月11日以来、農業や農産物についての行政やビジネス界の動きに納得のいかないところがあり、また、酒を扱ってきた立場から農業経営者のみなさんに提案したいことがあり、筆をとらせていただいた次第である。

 私事になるが、昨年の3月11日は、数年来の体調不良で、まだ歩行もおぼつかなくリハビリを始めたばかりの頃だったが、やっと回復へと抜け出す兆しをつかむところへ漕ぎ着けた頃であった。後で述べるが、つらい中にも光明が差した矢先に大きな災害の報に触れたことは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故(以下チェルノブイリ原発事故)当時のことをまざまざと思い起こさせるものだった。

 テレビの向こうで仙台平野の農地を黒い津波が襲い、ハウスを次々に呑み込む様を呆然として見つめていた。一人でも多くの方々が命を拾ってくれることを願いながら、その後の生活再建や塩害からの農地再生にはどれ程の期間が必要なのだろうかと思い、心が痛んだ。さらに福島第一原発事故の惨状と、その後1年数カ月にわたる政府の無策・迷走を見るに至って、やはりチェルノブイリ原発事故後のヨーロッパの酒類業界で起きたこと、そこから得た情報とこの状況の打開策の一つを、農業に携わるみなさんにお伝えしたいと考えた。


ホットスポット産のワインが人気銘柄に

 1986年、私はワインの輸送法の改善提案を行っていた。それ以前には問題のあるワインが多かったが、これでようやく良質な欧州産ワインを豊富に扱えるということで心を躍らせていた。4月26日のチェルノブイリ原発事故の報は、まさにその矢先に飛び込んできた悪夢だった。

 これからどうなるか?まだ受粉して間もない時期であろうヨーロッパのブドウ畑の状況を想像すると気が滅入った。収穫したブドウがワインとなって出荷されるのはおよそ2年後以降だから、問題が起こった1986年産ワインが出回るのは1988~1989年頃になる。それまでにワインの除染技術は開発されるだろうか―ワイン屋をやめるか続けるかは、1986年産を入手後に決めようと腹をくくった。

 あの頃は、ボルドーやブルゴーニュの高級ワインでは、1981年・1982年・1983年のワインが活発に輸入されている時期であった。以後の2年数カ月は、輸送方法の改善で、かつてとは比べものにならない健康さを保って続々と入荷する1986年以前のワインに喜びながら、一方で放射能汚染の深刻さを伝える情報に翻弄された。

 西ヨーロッパを襲った放射能雲は3方向に分かれて西進したとのことであった。その中でとくに、南回りはチェルノブイリから黒海上を南進し、エーゲ海へ出て、アドリア海を北上し、北イタリア地方でアルプスに突き当たって降雨し、同地方にホット・スポットを作った。当該地域で大量の家畜・家禽類が処分されたという報が入ってきた。

 これでは北イタリアのワインは壊滅的な状態となるのだろうと考えた。

 ところがである。イタリアを代表する当地の銘酒「バローロ」と「バルバレスコ」は当初の風評被害で値を下げることはあったものの、1986年産がリリースされた頃には、値頃感と品質のよさで日本でも大人気となったのだ。

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