記事閲覧
【フーテン人生の無邪気な視点】
神のいない祭り
- マック木下
- 第12回 2012年06月15日
- この記事をPDFで読む
日本人と米との関係は神道に根差す神の文化として成熟していた。東南アジアの穀倉地帯に広がる稲魂信仰。稲魂をないがしろにすると、稲魂が怒って逃げてしまい、翌年の稲に稲魂が宿らず不作になるといわれたものだ。
「古事記」や「日本書紀」では稲魂を「ウガノミタマ」とか「ミクラタナのカミ」と呼び、稲の精霊は神とされていた。今なおどの穀倉地帯でも昔からの習慣が続いており、食前は仏前と神棚にお供えをする。
しかし、都会の我々といえば、仏前や神前に供物をするのはせいぜい盆暮れと彼岸くらい。これでは稲の精霊は食を求めてどこかへ逃げてしまうに違いない。
供物をしない現象は欧州では400年ほど前の宗教改革から起きていた。もちろん、キリスト教と融合した欧州の土着信仰では季節によって豊穣を願う祭りは今でも続いているが、日常的に供物を捧げる習慣は廃れて久しい。
何も神様がダイエットをしているわけではない。神が抽象的な存在となり、そのコミュニケーション方法が祈りのみへと変化したのが現在のキリスト教なのだ。イスラム教も元来供物は捧げない。日本の神々は供物を捧げると、我々に五穀豊穣をもたらす人間くさい連中なのだ。
ちょっと前まで我々の日常食は単調で粗末だった。ただ、盆暮れ正月と新嘗祭のハレの日だけは、普段は口にしない節料理を作り、長時間の食事を楽しみ、祭りの行事の一つとして人間と神々が共食してきたのである。
「古事記」や「日本書紀」では稲魂を「ウガノミタマ」とか「ミクラタナのカミ」と呼び、稲の精霊は神とされていた。今なおどの穀倉地帯でも昔からの習慣が続いており、食前は仏前と神棚にお供えをする。
しかし、都会の我々といえば、仏前や神前に供物をするのはせいぜい盆暮れと彼岸くらい。これでは稲の精霊は食を求めてどこかへ逃げてしまうに違いない。
供物をしない現象は欧州では400年ほど前の宗教改革から起きていた。もちろん、キリスト教と融合した欧州の土着信仰では季節によって豊穣を願う祭りは今でも続いているが、日常的に供物を捧げる習慣は廃れて久しい。
何も神様がダイエットをしているわけではない。神が抽象的な存在となり、そのコミュニケーション方法が祈りのみへと変化したのが現在のキリスト教なのだ。イスラム教も元来供物は捧げない。日本の神々は供物を捧げると、我々に五穀豊穣をもたらす人間くさい連中なのだ。
ちょっと前まで我々の日常食は単調で粗末だった。ただ、盆暮れ正月と新嘗祭のハレの日だけは、普段は口にしない節料理を作り、長時間の食事を楽しみ、祭りの行事の一つとして人間と神々が共食してきたのである。
会員の方はここからログイン
マック木下
ゼネコン、商社、航空旅行業、世界的弱電企業などの国際畑で育ち過ぎた50代。1980年代から主に英国に住み、英人が本名をちゃんと発音できなかったので、いつしかマックに。ジャンルには無節操なライターで、執筆歴は10年間ほど。専門は日英関係史とロンドンの歴史散歩。寄稿先は『英国特集』『R.S.V.P.』『Quality Britain』『Taste of Britain』『未来教室』『ぼんじゅーるレマン』のほかミニコミや会員誌など。
ランキング
WHAT'S NEW
- 年末年始休業のお知らせ
- (2020/12/17)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2020/08/07)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2019/12/12)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2018/12/25)
- 展示会に伴う一部業務休業のお知らせ
- (2017/10/04)
