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新・農業経営者ルポ

「食は、官能なり」。本能に忠実な創造主

食べること、そして料理することが大好きだった少年。彼はある本に出会ったことがきっかけで「日本が食糧危機に襲われたら、自分は食べることを楽しめなくなるかもしれない!」ということに恐怖心を抱き、確実に食を入手できる農業を仕事にしたいと志す。日本を代表する農業法人を経て、独立を果たした男が目指す「食の楽園」とは一体どのようなものなのか。撮影・取材・文/紺野浩二

 正直な話、結構ビビっていた。

 筆者と同世代――厳密には筆者の方が3歳上になるのだが――ということは知っていたが、会う機会はなかった。かつて本誌編集部で机をともにした同僚は、彼が茨城県鹿嶋市に作り上げた“楽園”に何度か遊びに行っていたらしく、事あるごとに「唐澤さんが、唐澤さんが」と言っていた。なので、そんなにすごい人なのかという先入観があったのだ。

 しかも、かの『奇跡のリンゴ』で知られている木村秋則氏が行なっている自然栽培を実践している、というのである。「●●農法・栽培」を前面に出すタイプの農業青年への取材は少々苦手でもあり、不安だった。

 ところが、楽園の創造主は、実に饒舌で、豪快に笑う御仁だった。そしてよく食べもするのだろう、身長180cm、体重90kgという見事な肉体は、鋼のような筋肉を身にまとってもいる(服を脱いでもらっていないので想像だが)。一見プロレスラーとも思わせるこの男が、サングラスをかけて迎えに来てくれた瞬間、筆者が最初とはまた違った意味で、ビビってしまったのも当然か。


自分は飢えるかもしれないという危機感

 唐澤秀は、静岡県浜松市に生まれた団塊ジュニアだ。父親は商社勤務の会社員だったが、実家は春野町(現在は浜松市に編入合併)に住む茶農家だった。ゴールデンウィークなどは家族で茶摘みを手伝った経験もある。

 大人になった今でもそうだが、彼は食べることが好きな子どもだった。のみならず、料理をすることも好きな子どもでもあった。両親は共働きであり、自身が3人兄弟の長男ということもあって、土曜日、半ドンで学校から帰宅すると、台所に立ち焼きそばやカレーなどを作り、弟妹と一緒に食べていた。そんなこともあって、当時、彼は将来調理師になりたいという夢を持っていた。

 だが、中学生の時に出会った1冊の本が、唐澤の運命を変えた。その本の著者はレスター・R・ブラウン。米国の環境活動家、思想家である。中国など当時の途上国が経済発展し、食糧輸入大国に転じることによって世界は確実に大混乱に陥るという彼の説に、衝撃を受けた。

 「『こりゃあ本当にやばい』と感じましたね。日本もアフリカみたいになってしまうのか、とにかくこの危機を解決しなければいけないという焦りに駆られました。それで将来は農業関係の仕事をしなければいけないと決めたんです。ただ、世界を救いたいとか、青臭いことを思ったわけではありませんでした。単純な動機ですが、自分が食べられなくなるのは本当に困る、自分の喜びの源泉である食を楽しめなくなるのは絶対に嫌だったんです」


 高校に進学した唐澤は、小学生の頃から続けてきたサッカーを続けながら、「浪人は厳禁」という両親からのプレッシャーに打ち勝ち、明治大学農学部に現役合格を果たす。だが唐澤は「就職は浪人してしまったんですけどね」と笑う。

 されど就職に失敗して浪人したわけではなかった。国際協力関連の修学を志し、京都府にある大学院に進もうとしたが、受験に失敗。そのため1999年に大学を卒業した後、浜松市の実家に戻った。この間、自分は何をすべきか模索していたという彼は、ある時、農業コンサルタントをやってみたいと思い立つ。機会あるごとに唐澤に対して助言指導していた同級生の父親も「それはいい仕事だ、やってみるがいい」と言ってくれたのが後押しとなった。加えて「現場のことを知らないのに、農業コンサルタントなんかになれるわけがない。考えずに飛び込んでみろ」というアドバイスが心に深く響いた。

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