ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

農業経営者ルポ

誇りなき農民よ去れ/茨城県・塚田猛さん

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第14回 1995年12月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
そうした表現を当人は嫌うかもしれないが、「命の応援団(旧・自然派ネットワーク)」代表の塚田猛さんは優れた事叢系である。銀行から大手商社を含めて、塚田氏がいま始めている新事業と組もうとする企業は少なくない。
 そうした表現を当人は嫌うかもしれないが、「命の応援団(旧・自然派ネットワーク)」代表の塚田猛さんは優れた事叢系である。銀行から大手商社を含めて、塚田氏がいま始めている新事業と組もうとする企業は少なくない。言ってみれば少壮のベンチャービジネス経営者といってもよい人物だ。しかし、僕が塚田さんを優れていると思うのは、事業のアイデアの斬新さでだけではなく(それも非常に注目すべきものであるが)「こだわっているのは損得ではなく善悪です」と言いきる理念であり、覚悟である。であればこそ事業も成功するのだ。


最初は一人で始まった


 最初は一人で始まり、ほとんど何もしない内に失敗していた。後で考えたら漫画のような失敗だった。

 1976年、約20年前、塚田猛さんはそれまで8年半勤めた農協をやめた。素晴らしい農協リーダーがまったくいないわけでもなかった。しかし、農協という存在そのものに疑問を感じていた。それ以上に、編される側、搾取される側にノホホンと生きている農民でいたくなかった。自分で値段を付け、自分で売る農民になりたかった。自分の生き方を選びたかった。

 肥育専業の肉牛農家の父に、二人目の子供の出産を真近に控えた妻。トボケ顔で家族に何を始めるともいわず、農協をやめてしまった。準備は在職中から始めていた。チラシのコピーである。これは犯罪行為であったと後で反省するが、内諸で1000枚のチラシをコピーしてあった。

 チラシを1週間かけてまいた。しかしそのチラシには「産直やります」とは書いてあっても、連絡先を書くのを忘れていた。さらに、チラシをまいたのが家の周りの農業地帯であった。農家でなくともそれらの家は大体が農家の次、三男。野菜は実家から貰える人たちだった。しかも、野菜の産直を謳いながら、家では自家用の野菜以外作っていなかった。後にこの失敗は、発想が損得に発したものであったがゆえであると考えるようになった。

 失敗というにも価しない失敗の後、茨城リズム時計へ再就職。そこでの6年間の勤務の後、4年間屑屋とゴミ屋をやった。資金稼ぎと、その仕事が世の中の仕組みを知る上で一番と教わったからだ。当人には気に入った仕事だった。この10年間の体験が、その後のけ事を進めていく上での大変な勉強になったと塚田さんは言う。

 そんなころ、新聞の都市住民のアンケートで、30%の人が有機野菜を欲しがっているという記事が出ていた。折に触れて様々な人に相談してみた。その中に、親身になって話を聞いてくれ、現代社会の異常さを、そして仕事に対して抱くべき信念を語ってくれる人がいた。屑屋の仕事で出入りしていた地元スーパーの専務さんだった。

「仕事は損得抜きで始めるべきこと。そして、辛い日が続くことを覚悟せねばならないが、夜明け前が一番暗いことを忘れないように」とも言ってくれた。

 大方の人がカラカイ半分でしか返事をしてくれない中で、その人の言葉に勇気付けられた。

 自然派ネットワークに始まる塚田氏の仕事の原点になっている、先に書いた「こだわっているのは損得より善悪です」というひと言は、その人の言葉から教えられたものだった。 

関連記事

powered by weblio