ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

伸びるぞ!府県の畑作野菜経営
なぜ今、府県の畑作野菜経営に注目するのか

 53年から55年にかけて、スイカ、メロンの作付抑制、加工ダイコンの拡大や、小麦、バレイショの取り入れなど経営改善を図ったのだが、とにかく多くつくって、やりくり算段で売る、ということを基本にした。失敗も多く、中でも販売への十分な備えがないことに気づくのが遅れたのが、経営を悪化させることにもなった。

 昭和56年、記録的な冷害に襲われる。売上は1億円近かった前年を大きく下回る5300万円に減少し、この結果累積赤字は3000万円近くに達した。

 規模拡大をすれば、販売量が多くなり、利益がでるはずだ。ものをつくりさえすれば、どうにか売っていけるはずだ。農産物価格は、市場動向で変わるのだから高価格の年が必ずくるはずだ。

 こうした考え方に基づいて農場運営してきたのだが、コストは計画に即した実績がでるものの、生産面と販売面が極めて不安定で計画どおりにいかなかった。このため、現実には儲けどころか、累積赤字がかさ張り、経営の継続に赤信号が点滅し始めていた。

 我々は、この収益の落ち込みと6年間の経営の反省をもとに、改めて農場のあり方を議論しあった。そして得た結論は「単純な規模拡大による利益追求一辺倒の経営から損をしない経営」に方向転換するというものであった。

 契約栽培などによって、安くてもいいから価格を安定させ、この価格に見合った生産体制をとる、というものだ。「販売に見合った営農の展開」である“つくるだけの農業”から“売る農業”への転換である。

 この合意を受けて、ただちに、ダイコンの一次加工品や、バレイショの販路拡大のために、関東や東北の有力な会社を駆け巡る旅がはじまった。

 この間、農協から支援打ち切り話や、農場をともにつくりあげた友の離脱などの試練があったが、どうにかして克服した。


【4億円農場実現】

 販路を踏まえての営農となった昭和57年は農場開設以来、初めて前年より少ない作付面積となった。大規模化を目指してきただけに、無念なことではあったが、厳しい事情だけにやむを得なかった。この年、売上は少なかったが、わずかながら黒字を出すことができ、経営転換が功を奏したのである。

 こうして、”販売ありき”の経営方針が農場を発展の軌道に乗せていくことになる。58年には売上が1億円を超え、60年には作付面積が100haを突破した。62年には売上2億円の大台となり、我々3人の年間所得は一人当たり1200万円となった。この所得は売上が伸びた今日も同水準にしているが、これは共に農場で働く多くの人たちへの分配をできるだけ増やしたいというねらいが大きい。また、この年は農場の大規模生産機械施設の整備をほぼ終了した年ともなった。

 平成3年には売上は3億円を超え、それから2年後の5年には4億円に達し、作付面積も280haにまで伸びたのである。

 これほどにまで売上増となった要因を自分なりに分析してみると、次のようなことがあげられる。

(1)マーケッティングに力を入れ、この結果契約栽培できるダイコンやバレイショあるいは政府買い入れされる小麦を主力にしてきたこと(価格が安定した作物の導入)
(2)この3作物を基本にした輪作の確立や、小麦残稈のすきこみA深耕などにより上づくりをしっかり行なってきたことや、生産技術を高める工夫をしてきたこと
(3)運営計画を毎年度たて、それに基づき構成員3人がそれぞれ責任をもってやり遂げてきたこと
(4)3人とも協調性をもちながら、若き日に描いた夢へ突き進む強靭な意志があったこと
(5)機械力と補助労働力を合理的に組み合わせることに配慮してきたこと


【さらなる大規模・多角化へ】

 これまで、農地は借り入れを基本とし、所有地は71haに過ぎなかった。農地取得は投資が大きすぎ、リスクがあると考えたためである。しかし、今年、農場の拠点である深浦町から約60km離れた弘前市の岩木山麓に約200haの農地を取得した。これは、農場の体力がついたこと、国の規模拡大への支援が強化されたこと、団地化されており大型機械利用の超省力技術が生かせること、それに新たな事業展開が可能となること、などを考えて決断したものである。

 機械施設も合わせてこの5年間で7億円ほどの大型投資となるプロジェクトである。当面は小麦などを主体にして現状延長の営農を行なうが、その先には、製品加工や観光農業を視野に入れている。

 農場本場がある深浦町は津軽国定公園に位置し、白神山地や海岸の景勝地がある。その景勝にほれ込み、私は昨年「大根庵耕心塾」と名付けたログハウスを建てたほどである。一方、今年農地取得した場所は、津軽の霊峰岩木山を臨む雄大な景観がある。すぐ近くにはゴルフ場やスキー場もある。そして、ここから深浦町までは日本海の素晴らしい眺望を楽しめるドライブが可能である。こうした立地条件をフルに生かして単なる原料生産の農場から、一次産業としてのモノづくり、二次産業としての製品加工、三次産業としての消費者との交流も含めた観光と、いわば産業の多角化、立体化を図っていこうとするのが、農場の目指すこれからの方向だ。

 経営とは時代の流れを見通しながら自由性をもって常に変えていくものだと、私はみている。農業経営も、自己責任のもとに自由があっていいし、夢があっていい。この農地取得を機会に500haの大規模営農に新たな夢を懸けたいのである。

 農場には、8人の若者が常時雇用されているが、我々の意気込みを受け止め、この3月にはその中から4人が新たに農場構成員となった。これで規模拡大に伴う管理体制の強化と、将来の農場継承をにらんだ体制固めができた。

 とかく、農業は若者に敬遠される時代ではあるが、次の世代へ希望を灯すためにも、この雄大なる新たな農場づくりに向けて、我々はこれからも挑み続ける。

請負型畑作経営者がリードする畑作野菜産地
請負人は高収益への案内人でなければだめだ


石川治男
〒307 茨城県結城市上山川1622
TEL.0296(35)0149
昭和22年茨城県生まれ。農協の機械専職を経て農業と農作業請負業を営み、大規模経営の高品質ゴボウ生産者としても有名。農業機械に対する知識はもとより、土壌肥料や作物栽培の専門的知識を持つだけでなく経営者ならではの実践的な知恵が関係農家や企業との関係を深いものにさせている

 私は、6~7haのゴボウ栽培を中心とした経営をしています。請負は、ゴボウの関係で空掘り・収穫がそれぞれ15ha程度。その他、頼まれてさまざまな請負作業をやっています。ゴボウの臣事を本格的に請け負っていた頃には、1日何十人というアルバイトを使って、掘り取りや空掘りをそれぞれ60haくらいやっていました。しかし、現在は自分で作るのが中心になっています。自分自身で経営的に栽培をしてきた作物としては、ゴボウ、漬物用ダイコン、ハクサイ、バレイショ、ニンジンなど。どれも面積は4、5haから十数に詣です。

 畑は家の回りから県外や他町村まで、100ha以上先にいくこともあります。その判断の目安は、良い畑(土質と地形)であることと作る(作業を請け負う)作物しだいです。ハクサイは収穫当日の出荷だから遠出はできない。ゴボウは1日の消化面積は少なくても付加価値が付くから遠出できる。バレイショは単価が安くとも上日たくさん処理できるから遠出できるという具合にです。

 本誌から、自作地や小さな農家との協力で加工用ニンジンや加工用のバレイショについて、自分で作る分以外に請負型の機械化畑作経営の形を創ってみないかというお誘いを受け、カゴメ㈱の方々と加工野菜の契約栽培を一つの経営実験として取り組むことになりました。また、合わせてすでに体験のあるバレイショについても同じ手法で取り組もうと思っています。

 以下、自分白身の体験と計画をもとに、私の考える府県での畑作野菜経営、あるいはその請負について、そしてそのために企業に対して望むことなどを含めて書いてみます。


【バレイショは北海道栽培体系に】

 私が現在やっているゴボウ栽培も、典型的な畑作野菜だともいえますが、もっと一般的なバレイショの話題で話してみましょう。

 私が以前にバレイショを作ったのは、基幹作物としてのゴボウの土壌改良作物として輪作に組むことが目的でした。バレイショはカリをよく吸ってくれる。また、ニンジンについてもゴボウの後なら無肥料でもできる。ゴボウとの相性が良いのです。新たな作物を導入するのはやはり現在の基幹作物との相性を考えるべきでしょう。

 さて、バレイショについてですが、最初の年は4ha栽培して以前から取り引きのあるスーパーヘの専門出荷業者に出しました。本当は加工用として出すのが狙いだったのですが、集荷が順番待ちということで作業の都合が付かなかったからです。あとで述べますが、実は、この出荷・工場荷受が府県の畑作振興の問題なのです。

 5~6tの収量だとして、出荷業者だと反当40万円くらいにはなるのですが、私は、あえて反当30万円程度(?)の加工用に出荷する方が経営的には得策だと考えています。

 確かに単価は魅力です。しかし、それはどの手間でいくらになるかを考えねばなりません。輪作する他の作物や作業との組み合わせはどうなる。収穫・運搬・選別・調製の手間がどうであるかとの兼ね合いを考えます。折角、機械化作業体系が組めるものを手間をかけて作るのはばかばかしいと思うし、経営のバランスも崩れるのです。始めから、やるなら北海道型の収穫作業体系を組むことを考えました。1日に80aから1haは収穫できるハーベスタを使うことを前提に規模拡大する方が得だと思うからです。生食用に出荷する場合、かりに反当40万円で売れたとしても、出荷の単位は1日1反とか2反です。販売先の荷受能力がそれくらいだと実は収穫作業体系に引き合わないのです。むしろ単価は安くても大量に引き受けてくれる先が必要なのです。それは、とくにバレイショやニンジンのような作物をハーペスタを自前で持ってやる場合の前提です。1日にできる出荷量(処理量)と単価を掛合わせたらどちらが利益が多いかは解るはずです。畑作のウマミはそこにあるのです。また、バレイショは大型機械化体系によって収量の上がる作物だからでもあります。そして当然のことなのですが、収量が取れなければ話になりません。その意味で、現在の関東の収量レベルでは畑作的経営は成立たない人も多いのではないかと思います。だから省力的な加工用出荷のウマミが見えてこない。

 私白身やってみて解ったのですが、北海道でのバレイショの作り方を条件の違いに合わせて利用してみると、10a当り平均で5t、最高では8t取れました。もちろんマルチなしでです。北海道の人たちにとっては当たり前の収量でしょうが、関東の普通の農家では普通は2tにいかず、マルチをかけたとして3t程度が平均的な収量です。手間もお金もかけて取れていないのです。

 実は指導する人たちも、北海道の収量は知っていても、その理由が何であり、その技術をこちらに持ってくる方法を考えようとしていないのではないでしょうか。どんな作物でもよく取れるということは品質も揃っているということです。またそうでなければ、収益は上がりません。

 例えば、茨城では春の彼岸ごろに植えて梅雨の中ごろか梅雨後に収穫する。それ以上おいていても日照りで草が枯れ上がってしまいイモは太らない。北海道では遅くて5月の中旬に植えて9月末か10月に収穫します。北海道で収量が多いのは気温が低く草が枯れず栽培期間が長いからです。それなら植えけを2月にするといったことを考えればよいのです。その他にも、北海道の側条施肥やカマボコ培上という技術は知っていても、そんな機械化体系は府県の農家にはなじまないと決めてかかっているのではないでしようか。本誌で紹介されている高松求さんがやったように、ティラーの体系でもスキガラで作っている培上機で同じことができるのに。それに、茨城でバレイショを作ると北海道の加工用ポテトハーベスタで掘っても土壌か気候のせいか、皮が傷まず生食用として十分売れるのです。北海道の仲間の臣事を見ると生食用のイモは専用のハーベスタかディガーで掘っている。皮が傷むからというのです。

 私の場合、プランクはタバタの2条。側条施肥、播種、土寄せをする機械です。バレイショの場合、全層施肥では取れません。それではイモが養分を吸ってくれないからです。仮培上は植え付け直後の芽が出たかでないかの時期に行ないます。草に上がかかっても構いません。本培土は日農機のカマボコ培上機を使っていますが、実際にやってみて、北海道でも府県でも、この側条施肥とカマボコ培上がバレイショ作りの基本中の基本だと私は思います。とくに混度が高くなり草の枯れ上がりの早い府県ほどカマボコ培上で硬く高畦に締めることが上の乾燥を防ぐ上でも重要なのです。私は、草の枯れ上がりを遅らすために、土壌の乾燥を防ぐ目的であえて雑草を生やしたままにするほどです。その ゴボウリフターでのゴボウ収穫作業時草が生えている障害より、土を乾燥させないことの方が収量に良い影響があるからです。

 前号の本誌に牛久の高松さんのバレイショ作りの収支が出ていました。高松さんともお話ししましたが、側条施肥にしていたら収量はもっと上がったはずです。高松さんのあの畑での3t弱の収量は、側条施肥をする機械を使わない場合で収量限界です。側条施肥と早植えをすれば高松さんなら必ず5tは取れるはずです。


【作業依託で出る依託者の利益】

 次に、自分の畑で作るだけでなく、他の機械を持っていない農家の作業を請け負って上げることを考えてみましょう。

 やはり前号の高松さんの報告の表(本号19頁に掲載)を見ると、収穫代金を除くイモの売渡単価をみるとキロ当り54円になっています。始めての畑で始めての人でも、指導する技術体系に合わせてくれれば反当3tは下らないはずです。だとしたら10aで16万2000円。ハーベスタのコンベアを抜けた40~80gの小玉のイモもコロッケ屋に売れます。問題はそれにどれだけ経費が必要かです。

 機械の普及していない府県でバレイシヨの高収益栽培を広めるなら、北海道型の栽培体系をよく理解して、それを府県型に加工できる技術と機械での栽培経験がある人に作業を任せることが一番の早道だと思います。しかし、これも重要なことなのですが、機械を持っている側と栽培する側とがどのようなパートナーシップを持てるかです。多くの農家は必ずしも話を理解してはくれないからです。

 そもそも、私か賃耕するより自分でやった方がよいと考えるようになったのもそれが理由なのです。というのは、賃耕は面積け事です。でも、人によって、土地柄によって、あまりにも作柄が違うわけです。品質の悪いゴボウは収穫にも手間取るわけで、それでは能率も悪いし、機械も傷む。賃掘りは引き合わなくなってくる。自分の作業に困るし、農家の役に立つと思って自分の見たこと勉強したことを教えたりもしましたが、話を理解する人、まったくチンプンカンプンの人、天狗になって人の話を聞かない人などさまざまでしか。

 私は賃耕屋をやることの中で、良いゴボウ、悪いゴボウ、良い畑、悪い畑、そしてそれ以上に作る人の技術知識や経験、自然観察力のレベル、それに人柄を含めてさまざまな人がいることをみてきました。これは以前、高松さんが言っていたことですが「目線の合う人とでなきや組めないね」というのは本当です。それぞれの得意分野があるのだから知識や経験の差があるのは当たり前です。本当に取れるようになるまで2、3年かかることだってあります。それでも年々土壌改良が進み、技術が進んで、今年はここまでできたのだから来年はこうなるということが見えたり、信じたりすることができない人とは、私は組みたいとは思いません。それなら上地を借りて自分でやった方が簡作早なのです。そうでなければ私か請け負っても相手も儲かることを請け負えないからです。また、技術やノウハウだけ盗んでいこうという人も嫌な思いをさせられるものです。

 仮に私か請け負うならいっそのこと機械作業は全部請け負ってしまい、地主さんには枕地の処理だとか周辺の補助作業、準備作業を手伝って貰うような形の方が良いと思っています。

 ところで高松さんの場合、種イモ代に20kgで3500円かかっていますが、これがイモ作りには大きなコストになります。通常1反で120~140kg使うと思いますが、高松さんの場合でみると10aあたり140kgで7袋で2万4500円。私か自分の畑に作る場合には北海道の仲間から規格外の小玉のイモを自分で行って買ってきます。他人に分けるのでも北海道まで自分の車で取りに行けばキロ当り30円から40円、高くても60円出せば手に入る。私は種イモだけを買いに行くわけではないのでそこで儲ける必要はない。連絡経費とガソリン代くらいをキロ当り10円も見ればよいでしょう。となれば、140kg使ったとしても約1万円。半値以下になる。その上、小玉のイモを使うことで切らずに使えるので消毒も簡単にすむ。手間も減るのです。北海道の私の仲間で種イモを買ってやる人などはいません。

 先に説明したとおり、バレイショは機械化することで収量が上がります。それを前提に作業を考えてみれば、作業を請ける側はやはり30aくらいの面積は欲しい。そうでないとハーペスタの作業を考えると請け負っても見合わないのです。

小玉を使えば種の前処理はいらない。植えけけは側条施肥のできる2条のプランクで1日80aはできる。仮培上やカマボコ培上は一人で1日に3、4hはこなせる。本当の硬いカマボコ培上をしようというなら、やはりトラクタ用でなきやだめ。防除も水の確保さえできれば30a を7、8分ですまられます。ここまではオペレーター人で地主が本当の補助作業者として手伝うだけでできる。収穫にはオペレータ以外に手慣れた補助がハーベスタに乗る必要がありますが、地主には枕地の処理などをしてもらえれば30aは半日仕事。
その意味で依託に出寸人は、500mくらいの距離で30a程度の畑を2ヵ所用意してもらえればそれを1日の収穫単位とすることができます。きちんとした計算ではありませんが、それぞれの作業単価は10a当りで植え付けが6000円くらい、培上が仮培上とカマボコ培上で1万円。防除の手間賃が5000 円もみればよいでしょう。収穫の手間賃は高松さんのケースでは収穫量に合わせてキロ当り8円となっており、3tとったとすると2万4000円となりますが、こんなところでしょう。

 仮に3tだとして計算してみると、高松さんの表に出てくる売渡基準で作業依託者は10a当り租収入16万2000円(3t×54円)。経費は種イモ1万円、植え付け6000円、培上1万円、防除5000円、収穫2万4000円で合計5万5000円。その結果の残りは10万7000円。これは3tが最低の目安で、平均的には4~5t収穫するということことですから、もっと収益は上がるはずです。これには肥料や農薬代は入っていませんが、今よりその金額は減るだろうし、もちろんマルチは使いません。手間は、作業の立ち合いに毛が生えた程度のレベルです。

 出荷はフレコンで行ないます。望ましくは圃場際にフレコンを積み、工場側でクレーンけきの大型トラック集荷してもらう形です。というのは、10a5tの収量があって、30a単くらいの面積だとすると1ヵ所で15t。その搬送が大変だからです。そのコストは確認していないのですが、圃場渡しにした場合のコストと手間を生産者側と工場側とでどう分担していくか考えていく必要があるのではないかと思います。

 肝心なことは、現在の収量レベルや機械化レベルでものを考えるのではなく、現在の2倍程度の収量水準を目指し、少ない手間で省力的な体系で生産し、それによって企業と生産者双方が現在以上の利益を出していくために、どのような協力関係を作れるかです。また、補助金や単価を上げろなどというのではなく、新しい生産構造を確立して行くための実験的な経営の試みに対して力のある企業側による支援がどうしても必要なのです。


【加工ニンジンへの取り組み】

 もう一つ、これは研究中のものですがニンジンについても触れておきましょ

 ジュース用のニンジンの場合の最大の問題点は首切りと発芽率の問題でしょう。しかし、現在の首切りの条件だと茎葉が萎れる冬ニンジンだと機械化が難しいのです。そのために手作業に依存した小規模な生産レベルが続いてしまうのだと思います。松山や小橋の小型のハーベスタで収穫する場合でも、やはり首切りが問題となります。私の考える一つの方法としては収穫前処理として圃場でテイラーにけけたナイフで首切りをし、その後を現在のポテトハーペスタで掘り上げるということも考えました。そうすれば、機械のコストが下がりありかたいのです。しかし、首切り位置の不安定さなどに問題があり、メーカーでは力ット面への土のけ着を問題にします。茎葉を掴んで引き上げるタイプのニンジンハーベスタは各種のものがありますが、この場合は霜に当って茎葉が萎れてしまうと使えないという問題があります。もっともサイトカイニンなどの処理をすることで茎葉を萎れさせないという方法もあると聞きました。

 さらに、フォークリフトが使えない小さな圃場や狭い農道の多い府県での大規模・大量処理では、搬送はフレコンでクレーンを使う形が条件だと思うのですが、その場合も切り口の汚れが問題になるわけです。メーカー側の事情も分らないではないですが、茎葉処理と洗浄の問題はぜひともメーカー側の工場設備の中で技術改良を進めていただきたいテーマです。また、収量が多く、一度の収穫面積を大きくした場合の荷受の方法も考えていただきたいものです。

 もう一つの問題は発芽率です。施肥や土壌管理とともにそれが収量に大きく影響します。

 今年私たちは75cmの畝で反当5万8000木から6万木を目安に播種しました。それくらいがハーベスタに合い、揃の良い一番良い形状のニンジンが取れる播種量だからです。ニンジンー木が200gの場合、直径は2・5mくらい。だから6m間隔に千鳥に播きました。発芽率が60%とみて200gを6掛けすると4・7tから5・5tとれる計算です。

 播種はコート種子で多木式の2条の手押しでお盆前に播きました。しかし、残念ながら乾燥と雨でだめでした。3ha播きましたが発芽率6割としてさらに70%の苗立ちでしょう。

 種の前処理の問題もあったと思います。ご存知の通りニンジンは発芽率が悪い。しかし、使用する種子の栽培された産地や気象の条件や系統が事前に解ればある程度の対応は可能なものなのです。

 除草剤1回、追肥1回、収穫は植えたまま首切りをしてポテトハーベスタで掘り取る方法でやってみます。

 この辺りでも省力的な栽培基準でニンジンを最高で8t取る方法もあります。今回の苗立ちの悪さ(収量の悪さにつながる)を、私は天候の悪条件だけのせいにしたくないのです。それは経営者として情けないからです。梅雨前に播くということもあったかもしれません。今、述べた種子の前処理が十分にできなかったことも今までの経験が活かせなかったことでもあり、くやしく感じています。


【経営者への企業の協力を】

 最後に、現在の低い生産レベルに合わせた出荷基準ではなく、新しい能力の高い生産者に合わせた加工メーカー、流通業者側の協力が欲しいと言いたいのです。それは単に生産者だけの都合ではなく、そうしなければ、5年後には作る人がいなくなってしまうことを、企業は考えるべきなのではないでしょうか。そのためにも専門家や伝票を取り次ぐだけの人や組織ではなく、現実的な知恵や体験のある経営者とメーカーとのもっと踏込んだ協力体制が作られていくべきだと思います。その双方の利益と今後の農業生産のために。


小規模・高齢者農家の利益を生む畑作野菜の導入
土と技術が作物を育て、人に頼める仕事で出す利益


 私は、現在堕成。もう現役を引退した農家です。その意味では、本誌に度々登場するのは自分でも少し気恥しいものがあります。ところが今回またしても「高齢者・小規模農家として畑作に取り組む方向について書くように」との依頼がありました。そこで、これまで本誌で紹介された内容と重複する部分もあるかと思いますが、その話題に関して感じていることなどを書いてみます。なお、今回話題にするバレイショを作った畑の経緯については、本誌の4・10・12・13号に紹介されています。

 私には農業を継ぐ後継者がおらず、経営を撤退する時期にあります。かつての経営の主体であった水田についても借地や作業請負を少しずつ減らしてきています。ただ、自宅に隣接した2・5haの一部は陸田にもなる畑があるので、そこで各種の作物を田畑輪換の形で栽培しています。かといって、夫婦二人の労働力であり、いまさらあまり手間のかかる野菜作をやろうとは思いません。私の経営の考え方の基本は、夫婦二人で年間を通して過不足なく働けることです。

【経営者の仕事は畑を作ること】

 さて、そろそろ引退をと考えた頃、お隣からすでに原野化した畑を管理してくれないかという依頼がありました。そこで、それをきっかけに、いろいろな作物をこれまでとは少し違ったやり方で作ってみようと考えたのです。

 どうせやるなら関係する企業の人々や仲間の農家も呼び込んで、いわば「飯の喰える」技術であり経営手法であることを検証する「経営実験」のようなことをしてみようと考えました。とはいえ、私にとって農業は趣味ではありません。やるからには真剣なわけで見合うレベルの利益は出しています。

 最初に取り組んだテーマは、私の畑の一部と合わせて約80aの場所で、原野化した畑を開墾する方法という意味も含めて、ドリルシーダで播種する陸稲の栽培技術体系です。この時は陸稲の値が暴騰していたので儲けさせてもらいました。次いで、麦、大豆と作り、そして今回の作業依託のポテトハーペスタ収穫によるバレイショの栽培です。小さな農家が畑作業を依託することでの経営メリ。トを示してみたかったのです。それは、これからの府県の畑作農家にとって有効な経営のやり方だと思います。受託者が育ってくれれば、大きな機械投資も労働もなく収益を上げつつ畑の管理をしていく方法になるからです。

 さて、バレイショですが、すでに12号、 13号で紹介されました通り、収量は計画の水準には達しませんでした。しかし、労力的にいちばん大変な収穫作業を外部依存した形で、肥料農薬代を別にして10a当り約10万円の収益がありました。あの手間で、あの面積に作れることを考えれば十分引き合います。

 施肥方法に問題があると本誌執筆者の村井先生や結城市の石川さんに教わりましたが、初めての私としてはまずまずのできで、今後を楽しみにしています。

 むしろ我々のような高齢者や小規模農家、あるいは園芸作物中心の経営者にとっては手間のかからない副業として、割の良いものではないでしょうか。草ホウボウの遊休農地の利益の出る活用方法としても有効な手段だといえます。肝心なのは、何でも作れる畑の準備です。

 原野化した畑を取り戻すのも、現在はトラクタやプラウのような機械があるのですから手間はさほどではありません。ただし、いかにプラウで土を反転しても千切れた茎から発芽する雑草に1作目は泣かされました。作物を作ることが草を減らし、毎作のプラウによる反転耕や有機物の還元、輪作が上を蘇らせてきているのを感じます。

 私は、経営者の仕事の本質は「畑を作ること」だと思います。このように畑が作れれば、あとは人に頼んでも作ってもらえる。その上利益を出す。それが本当の経営ではないでしょうか。


 【畑の作業受託者を育てよう】

 とくに畑地帯の野菜農家は本当に働き者です。しかし、そのために人に作業を頼むことで生まれる可能性が見えていないのでは、と感じることもあります。

 これからの農業経営は、自分白身の汗だけでも労働力として人を使うだけでなく、「分業」が可能性を広げるのではないでしょうか。分業の相手や仕事を頼むべき人を探してくることも経営者の仕事です。経営者にはそんな「儲かる前の手前の話」が肝心なのです。そして相手の利益を考えながら自分の可能性を考える。彼が仕事をしてくれなければ自分の汗の分しか仕事は広がらないのですから。このバレイショでいえば大きなポテトハーペスタヘ投資をし、その出荷先の面倒まで見てくれた河原さんがいるから可能になるのです。むしろ、仕事を頼む私たちが彼らを支援することが大事なのだと考えています。

 【冬に働けるものが勝者】

 それから、今回のバレイショ作付けでは、確かに機械がなく手植えになり、その点では労力を取りました。でも私は別のことも考えました。バレイショの植え付け時期は私には暇な時期なのです。手が間に合う限りであれば少しくらい時間がかかっても善しと考えるべきなのです。

 ぜひ若い経営者の方に考えていただきたいのは、経営者にとって手間というものは農繁期と農閑期では単価が違うのだということです。時々、研究や行政の方々が、単純にある作物の労働時間を積算して経営計算をしたりしているのを見たりしますが、やはり給料を貰っていたのでは経営を考えることは無理なのでしょうかネ。省力の手立てを考えるのは当然なことですが、農業というものは人ではなく作物や自然が働いているのであり、人はそれに間に合わせる下準備の仕事をしているだけなのです。農繁期の作業時間は文字通り待ったなしの時間ですが、自然の時間に追われない農閑期に人間の都合で働けるなら、その労働は農繁期とは別の意味を持つ時間なのです。時間に余裕があるという意味ではその労働単価は安いわけですが、でも、その結果で自然の力を使いきるという意味においては価値の高いものなのです。暇な時期に仕事をしても、放っておけば土とお天道様が勝手に作物を育ててくれるのですから。それが農業なのであり経営なのではないでしょうか。働かされる者の立場ではなく経営する者の立場で時間を考えるとはそういうことだと思います。暇をいかに活用するかが経営者なのです。冬に働けるものが勝者なのです。


【異質なものに出会う価値】

 私は、牛久市女化という台地の畑作地帯に住んでいますが、経営の主体は家から離れた場所にある水田です。自分の水田もありますが、措地や請け負いが主体です。また、機械の償却を早める目的も含め、周辺の野菜専業の農家の畑で麦を請け負いで作ることも積極的にやってきました。さらに2、3人の得意分野の違う野菜専業農家の人を自分の畑に呼び込んで数人がある面積の畑を順繰りに使い回す交換輪作もやりました。そうすると誰もが素晴らしい作柄になりました。

 それ以上に、違った能力を持つ異質の人々が一つの場所に集まりそれぞれの仕事をすることは、お互いを良く見ることができるので、それぞれの経営にもよい影響を与えるようです。農家、農村というものは、同種のものだけが寄り添いがちなものです。しかし、他人と同じであることより、あの人と自分はどこがどう違うからこそ組めるという考え方が大事なのではないでしょうか。とくに、自分の家族だけでげ事をすることの多い小さな野菜農家ほど、経営のスタイルやセンスの違う請負屋さんと組むことはきっと勉強になるはずです。


【今の経験を疑ってみる】

 こうして、面白かっていろいろな経営実験をやってみると、さらに新しいテーマが出てきて当分隠居はできないようです。さらに新しい技術や知識、あるいは経営観を取り入れながらも、むしろ技術が使えなかった昔風の土や自然の力を引出す農法仁戻っていく方が良いような気がしています。例えば今年、ラッカセイをマルチをせずに作ってみましたところ、栽培初期の見かけは悪かったのですが、最終的には変りません。今年は決して良い条件ではなかっだのに。

 私たちが、いつの間にか土や自然の力を引き出す本当の意味での経営努力を見失っているため、場合によっては必要のない資材や薬や機械を使わざるを得ない状態に陥っているのではないかと感じます。澗時にそれは、あまりにも目先のお金にとらわれすぎているからでもあると思います。そんな意味で、今後は、陸田という条件をも使い、水田の浄化機能を使った畑作、緑肥、さらに価格の良いヤマトイモなども経営実験のテーマにしてみたいと考えています。

近郊野菜産地発展の条件
生産と流通・加工業との新しい関係づくり

(株)地域事業研究所代表取締役
創造農学研究会代表幹事
山代頸二
東京都新宿区大久保2-1-8プラザ新大樹本棟905
TEL.03(5272)1735
昭和12年10月生まれ。昭和39年東京大学農学部を卒業し、㈱ユニチカに入社。昭和59年㈱地域事業研究所を設立し代表取締役に就任。農工の融合による農村空間の活性化、ニュービジネスの創造を研究している。また、農業と他のさまざまな産業に従事する多彩なメンバーによる「創造農学研究会」を主宰。


 私はよく、関東平野をため息混じりに見つめる。関東平野は北海道や九州の大産地よりもはるかに広大で、地力もあり、しかも消費地に隣接している。水利も悪いことはない。それなのになぜ有数の田園地帯にならなかったのか。

 その答えは、関東平野を農業ゾーンとして巨視的に捉える国土計画がなく、主体的な地域形成の機会を奪われ、首都の外延的拡大を受容するだけの空間にしてしまったことにある。都市の成長とバランスをとった農業振興計画が描けたら、大都市に隣接している優位性を発揮する農業が発展したはずである。いや、「やればできる」ことに気づけば、これからでも素晴らしい農業地帯に発展するように思うのである。

 現代は大都市の需要が巨大なマグネ。トになり、大量こ局速流通を生んでいる。これに呼応して府県各地には大規模な畑作産地が造成された。しかしこうした畑作産地をここでは取り扱わない。ここで取り上げるべき府県の近郊野菜産地は露地野菜を営むが、機械体系が自己完結的に組まれている北海道にみられるような経営ではなく、都市の外延部の、零細な土地所有や旧い農業(社会)構造を残しながら息づいている農村である。

 府県の畑作は大都市同けの主産地形成か、施設化していくか、自給菜園の形態を残したまま小流通の中で棲息するかなどに分化していった。しかしこれらは、総じて旧い農業構造と十分に調整を採らないまま急速に形成されたこともあり、いずれも持続性に陰りを見せている。円高による競争力低下もあいまって、府県のさまざまなタイプの畑作産地の行く末には黄信号が点っている。


【流通業者が再生させる産・消間の信頼関係】

 消費者は信頼できる農産物(食品)を得たいという根元的な要求を持っている。しかし消費者と生産者とが直接の契約関係(いわゆる「顔の見える関係」)を結ぶのはたいへんである。そこに市場流通の使命が生じる。市場流通は不特定多数の生産者と不特定多数の消費者の間で上記の関係を代行するサービス業である。それを持続させる前提に、産消間の 

”黙示の信頼関係”がある。

 現代都市の発展は核家族化や共稼ぎ家庭の増加を生み、食品加工業、外食産業を大きく成長させた。それにともない農産物が加工・業務原料として巨大な流通に乗るようになった。しかしもともとわが国の府県産地は中山間地が多いことや、零細土地所有のために大量よ局速流通に順応する商品の生産には骨が折れる。量の充足や速さの維持、付加価値獲得を実現するためには、生産過程では農薬、化学肥料、農業機械、資材、石油エネルギーが、加工流通過程では添加物、包材などが必要不可欠なものとなった。

 しかし一方、こうしたものの投入は、いかがなものかと思われるほど厳格な規格や選別など、本質から離れたところに取引上の価値を移動させ、消費者の農産物に対する要求とはかけ離れたところで、消費者にコスト負担を強いる結果となった。

 国際化の進展はこれらの問題をますます拡大して見せる。結果として起こることは産消間のぶ烈示の信頼関係”の希薄化である。だからこれからの消費ニーズに応えるということは、必ずしも消費者の欲望をあれこれと充足させることではなく、流通業者が自覚的に動いて信頼され得る農産物を流通させ、生産者と市場(流通)が手を握り、このことに責任を持つことである。飽食の時代、このことについて明るいソロバンがはじけるかと言えば必ずしもそうとは言えない。しかし、消費ニーズは確実にその方向を向いている。農業生産者と市場(流通)の共同解答が求められるのはそう先の話ではないと私は考える。こういう解答を見出せば、府県産地は現在の困難を減らし、明るく輝く未来を享受することができると私は確信している。

 近年、飽食・美食が進む一方、偏食と栄養不良で現代人の食生活は明らかに危機に瀕している。成人病の多発や抵抗力の弱い児童の増加など、「食」をめぐる環境悪化はとどまるところを知らない。 農業や農産物流通の非能率や不背理を補おうとして発達したさまざまな産業技術が食べ物をとんでもないものに作り替えてしまっている。

 現代技術は農産物の反当たり収量、加工特性、規格品質、鮮度、美観などの向上をもたらした反面、ビタミン、カルシウム、鉄分など主要な栄養素を著しく低下させた農産物や、抗生物質やホルモン剤で太らせた精肉・養殖魚などを大量に生み出した。食べ物の栄養価、鮮度、安全性といった価値が、厚化粧した商品の見栄えの犠牲にされている。こうしたものに対する不信が消費者運動、市民運動を生んでいるのは言うまでもない。またそれによって農村も深く傷ついている。

 しかしだからと言って、私は産消間の信頼関係は「産直」とか「無農薬」とか「有機栽培」とか「顔の見える関係の構築」によって回復するとは思わない。それらも重要ではあるが、産消間の“黙示の信頼関係”に資するものではない。

 この信頼関係の再生は、流通業者が生産者と消費者をつなぐ計画を立て、産・商・消の3者が共通の価値観に基づいて構築するビジネスとしてしていくことで達成されるものと考えている。 


(以下はPDFをご参照ください)

関連記事

powered by weblio