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だが、高級レストランの支配人をしていた人間が田舎暮らしを選び、そこで有機農業に取り組んでいるという話題はメディアの注目を呼んだ。取材を受けることが増え、それを見た農業志願の若者が訪ねて来るようになった。
そんな若者の少なからざる人々に、松木は、むしろ彼らの“甘さ”をたしなめるようになっていく。彼らの多くは、現代の社会に対する強い批判を持ち、彼等からすればその対極と言うべき農業あるいは“農的生活”というものへの幻想と言っても良い期待感だけを持っている。でも、そんな彼らは、得てしてどのように暮らしの糧を得るのかという現実を考えておらず、そのためにどのような技能を持ち、あるいはそれを実現するために幾ばくかの貯金を用意しているというケースはむしろ稀である。
松木自身、都会を逃れ仙人暮らしを求めて始めた農業であったが、さすがに2年間の有機農業を目指す若者の研修先として有名な農場で修業を積んだので、曲がりなりにも初年度目から僅かであっても暮らしの糧を得るべく仕事を組み立てる才覚は持ち合わせていた。
就農時の面積は40a。初期の投資金額は、トラクタ(中古)約40万円、軽トラック(中古)約10万円、管理機(新古車)約25万円、ハウス(中古)約5万円、刈払機約2万円、その他(鍬などの農具、雨合羽、長靴、その他の資材類)約20万円で、合計約102万円だったそうだ。
それで、初年度以来の売り上げは、約250万円で差し引きの粗利は約100万円だった。収入に合わせた暮らしをと考えていたが、さすがにそれでは暮らせず、サラリーマン時代の貯金から持ち出しをした。でも、2年目には売り上げは480万円を超え、貯金を切り崩すこともなくなった。その後、売り上げは3年目で約690万円、4年目約1140万円、5年目には約1500万円にまで増えていった。
とは言え、それはサラリーマン時代の友人や取引先のつてを頼り、営業をすればできることであった。というより、生業レベルの農業であれ、新規に仕事を始める人が応援してくれる人脈や営業先を広げる才覚を持たずに実現する訳もないのである。
問題はその先なのである。
松木は就農3年目にNHKのラジオ番組に呼ばれて話をしたことがあった。まだ、単なる田舎暮らし派の有機農業農家だった時代だ。その番組の中で、パーソナリティーの人から
「良く考えたら、松木さんはちょうど働き盛りの世代ですよね?」という言葉を投げかけられた。
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松木一浩 マツキカズヒロ
株式会社ビオファームまつき
代表取締役
1962年長崎県生まれ。ホテル学校卒業後、ホテル、レストランサービスの世界に入り主にフランス料理サービスを担当、90年渡仏しパリのニッコー・ド・パリに勤務。帰国後、銀座のフランス料理支配人を経て、恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」の第一給仕長を務める。99年、栃木県での研修後、静岡県芝川町(現在富士宮市)に移住。現在4haで野菜を有機栽培している。07年、富士宮市に野菜惣菜店「ビオデリ」を、09年に畑の中のレストラン「ビオス」をオープン。著書に「ビオファームまつきの野菜レシピ図鑑」(学研)、「農はショーバイ!」(アールズ出版)、「畑から届いた採れたてレシピ」(学研)等多数。
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