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露地的野菜栽培と区別するために、畑野菜と表現する例が多くなっているが、これは妥当と思える。手作り感覚に拘泥するのはよいとして、感傷に浸っていては農業が滅びてしまう危険性があるのではないだろうか。クリーン・低コスト野菜を望むならば、大規模化にシフトすることである。北海道のある農協では、キャベツ団地を作ろうとしているが、ここではてん菜移植の技術を転用して、紙筒育苗・移植をもくろんでいる。一般的には、セル成型苗の技術が怒涛のごとく押し寄せてきたことから、それがすべてと思われがちである。ところが、冷静に判断しており、常識にとらわれないところが見事である。
てん菜移植が定着し、その省力化に見るべきものがあるならば、それを利用すべきとしている。てん菜とキャベツの違いはどこか。てん菜は直根型であるのに対し、キャベツは横根型である。それならば紙筒に穴を開ければよいと、独白にその技術を開発しているのである。
てん菜の育苗プラント、移植機がすべて利用できることから低コスト化か可能となり、また大きな魅力としては、高速・省力移植ができることである。しかも、トラクタに乗ってできる作業であり、楽にできることが受けている。大苗仕立てる必要があるのであれば、紙筒の規格を変えればよい。移植機を若干改良ずるだけで事足りると自信満々である。
ある法人は、北欧で大型移植技術を視察してきている。さっそくその移植機を導入し、施肥機を取り付けるなどして、自分流に組み立てている。圃場に行ってみると、ヨーロッパを凌ぐ高能率移植をしている。施肥と同時移植は、側条施肥が可能であり、省力的であるぽかりでなく、肥効も高めて減肥へと導いている。全層施肥と異なり、雑草も少なく、除草の省力化も約束されている。
野菜だから手をかけなければならないとするのは、あまりにも前近代的である。今や、そこから脱却するものでなければならない。しかし、それはやる気と工夫があって、はじめて可能になることなのである。
都府県とて同じである。経営面積が少ないので、露地的野菜に甘んじなければならないとするのは、あまりに後退的である。そんな考え方である限り、後継者にも見限られてしまうであろう。
経営面積が少なければ、共同システムを作ることである。場面によっては法人化も考慮することである。事態はそこまで切迫していると考えればよい。現に、法人化して成功している事例を都府県においていくつか見ることのできる時代になっている。
小規模経営であっても、生産組織を再編成し、合理化すれば生き残れる。北海道は、比較的経営面積が大きく、有利な条件にあると言え、それでも再編を企画しているところが多いのである。
例えば、地域複合である。経営の合理化から専業分化したが、そのことによって隘路も出てきている。つまり、酪農はふん尿を持て余し、河川汚染を招くような事態になっている。畑作農家は堆厩肥を投人することがないので、循環農法に取り組めない。今さら個別複合経営仁戻れないとすれば、地域的な結合より道はないことに気付いてきたのである。
農協が核になって地域複合経営を推進しているようなところでは、交換耕作すら行なわれている。これは、地域耕作と呼べるものであろう。お互いの土地の生産性が向上し、収量・品質面で恩恵に浴している。もはや個別で何でも行なおうとする時代ではないと思える。
場面では、新しい殖栽システムを考慮すべきであろう。戦前、戦中、ゴムや製糖で殖栽企業が汚名を残したことから、殖栽システムに抵抗があると思えるが、時代は変ってきている。食品企業が核になり、生産者がこれに加わる形で、企業的に農業に取り組めるようになれば面白い。残漬物も有効に還元できて、合理化はより推進できるであろう。
ともあれ、現場から抜け出そうとする意欲が、何より大切であると思える。その気があれば、道は拓けるものである。輸入野菜に脅かされるだけであっては情けない。
てん菜移植が定着し、その省力化に見るべきものがあるならば、それを利用すべきとしている。てん菜とキャベツの違いはどこか。てん菜は直根型であるのに対し、キャベツは横根型である。それならば紙筒に穴を開ければよいと、独白にその技術を開発しているのである。
てん菜の育苗プラント、移植機がすべて利用できることから低コスト化か可能となり、また大きな魅力としては、高速・省力移植ができることである。しかも、トラクタに乗ってできる作業であり、楽にできることが受けている。大苗仕立てる必要があるのであれば、紙筒の規格を変えればよい。移植機を若干改良ずるだけで事足りると自信満々である。
ある法人は、北欧で大型移植技術を視察してきている。さっそくその移植機を導入し、施肥機を取り付けるなどして、自分流に組み立てている。圃場に行ってみると、ヨーロッパを凌ぐ高能率移植をしている。施肥と同時移植は、側条施肥が可能であり、省力的であるぽかりでなく、肥効も高めて減肥へと導いている。全層施肥と異なり、雑草も少なく、除草の省力化も約束されている。
野菜だから手をかけなければならないとするのは、あまりにも前近代的である。今や、そこから脱却するものでなければならない。しかし、それはやる気と工夫があって、はじめて可能になることなのである。
府県で発展する方向性とは?
都府県とて同じである。経営面積が少ないので、露地的野菜に甘んじなければならないとするのは、あまりに後退的である。そんな考え方である限り、後継者にも見限られてしまうであろう。
経営面積が少なければ、共同システムを作ることである。場面によっては法人化も考慮することである。事態はそこまで切迫していると考えればよい。現に、法人化して成功している事例を都府県においていくつか見ることのできる時代になっている。
小規模経営であっても、生産組織を再編成し、合理化すれば生き残れる。北海道は、比較的経営面積が大きく、有利な条件にあると言え、それでも再編を企画しているところが多いのである。
例えば、地域複合である。経営の合理化から専業分化したが、そのことによって隘路も出てきている。つまり、酪農はふん尿を持て余し、河川汚染を招くような事態になっている。畑作農家は堆厩肥を投人することがないので、循環農法に取り組めない。今さら個別複合経営仁戻れないとすれば、地域的な結合より道はないことに気付いてきたのである。
農協が核になって地域複合経営を推進しているようなところでは、交換耕作すら行なわれている。これは、地域耕作と呼べるものであろう。お互いの土地の生産性が向上し、収量・品質面で恩恵に浴している。もはや個別で何でも行なおうとする時代ではないと思える。
場面では、新しい殖栽システムを考慮すべきであろう。戦前、戦中、ゴムや製糖で殖栽企業が汚名を残したことから、殖栽システムに抵抗があると思えるが、時代は変ってきている。食品企業が核になり、生産者がこれに加わる形で、企業的に農業に取り組めるようになれば面白い。残漬物も有効に還元できて、合理化はより推進できるであろう。
ともあれ、現場から抜け出そうとする意欲が、何より大切であると思える。その気があれば、道は拓けるものである。輸入野菜に脅かされるだけであっては情けない。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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