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【同伴者たち】
自分の本来の仕事はなにか、それを忘れては立ち行かない/ソリマチグループ反町秀司社長
- ジャーナリスト 齋藤訓之
- 第5回 1995年12月01日
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地域一番をめざす第一歩は頭を下げることだった
私は米穀店の長男なんですが、「親の商売は継がないよ」と言っていたんです。親はライバルでしょう。誰だって親以上になりたいと思っている。そこで同じ職業で親を超えるのは難しいと思えば、別な業種に向かうものです。血は争えないもので、私の長男も同じことを言って、私とは違う仕事を選びました。
私の場合は、いつもお客さんにぺこぺこ頭を下げている父を見ていて、「お客に頭を下げさせてそれで喜んでもらえるような商売はないかな」なんて考えていたんです。それで、最初は医者になろうと考えた。ところが高校を卒業する年の正月に小学校の先生がうちに来まして、自分の倅は税務署の学校に行ったと言うんです。聞いてみると税務講習所というものがあって、それを出るとすぐ大蔵事務官の試験が受けられて、つぶしがきくよ、頭下げんでいいよ、というんですね。
「頭下げんでいい」というのが気に入りまして、それで昭和24年ですが、税務講習所に行くことにしました。
卒業後は小千谷税務署に勤めましたが、上司が“上を向いている上司”だったんです。大きな会社や官僚機構の中にいる人は、上のことばかり気にしていて、お客様や部下のことを全然考えない。これじゃあだめだと思いまして、4年勤めたところで税理士の資格を取って、24歳で外に飛び出したんです。
自分で商売を始めるからには「この地域で1番になってみせる」と心に決めていました。しかし周りを見ると税理士はみんな税務署で課長職までは経験した老練な人たちばかりで、彼らよりも後から来た私がたくさんの顧客を持つのは難しく思えました。それでも、同業者がやっていないものでお客さんが求めるものがなにかあるはずだと思っていろいろ考えたんです。その答えは、若いというハンデを逆に武器に変えるものでした。
当時の税理士というと、客先に「あの帳簿持ってこい」、「この書類持ってこい」と言ってふんぞり返っていたものです。まるでお役所、“第2の税務署”なんですね。そこが狙えたわけです。つまり私は、自分でお客様のところへ出向くことにした。夜7時頃、お客様が食事を終わってほっとしたところに出かけて行って帳面を見せてもらい、その人に合わせて税法の知識や記帳の方法のアドバイスもさせてもらう。
帰りは11時頃になりますが、そうすると、その家の、私よりずっと年上の人たちですが、夫婦そろって玄関先まで送りに来て「ありがとう」と言ってくれるんですね。そうしてじゃんじゃんお客様が増えました。結局お客様に喜んでもらうには、やっぱりこちらから頭を下げることだったんです。十代の頃「お客から頭を下げてもらって」と考えたというのは、いまではまったくの笑い話です。
その後、顧客は私1人では見きれないほどに増えて、私はそれにつれて人もどんどん入れました。しかし32~33歳の頃、何度かもうやめようかと思ったんです。お客様があまりにもたくさんになって、気がつくと従業員も14人くらいになっていた。悩みました。自分はそれだけの人たちの信頼に応えられる人間なんだろうかと考え込んでしまったんです。その大勢のお客様と従業員に対して責任を持てる人間だろうかと。
合計4回やめようと思ったんですが、しかし結局思いとどまりました。自分か好きで始めた仕事を、自分からやめるとは何事だろうかと思ったのです。いま、自分が好きな仕事で夢が見れるんじやないかと気がついたんです。
そしてそれから、ではこの会社に勤めている人たちはどういう気持ちで働いているだろうか、と考えるようになりました。しかし結局同じなんですね。つまり、誰でも「自分で自分の夢をかなえたい」と思っていて、そのために働いているんです。だったら、それをかなえてあげようと決めたのです。そうでなければ、優秀な人材はみんな会社から飛び出していってしまうとも思いました。
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