記事閲覧
【北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信】
バイオ農業先達国、フィリピンに行きましょう!(2)
- 西南農場 代表取締役 宮井能雅
- 第53回 2012年09月14日
- この記事をPDFで読む
最終目的地は金髪・ブルーアイの宝庫オーストラリアである。今は、なくなってしまった事業だが、北海道における経済農業協同組合連合会であるホクレンは1960年代から海外、特に米国、カナダに農業研修生と言うフレコミで、将来の北海道農業に役立たせようと、主に北海道の若き生産者を送り出していた。その結果、ヒール宮井のような逸材を生み出したのだから、やはり感謝の言葉を忘れずに添えておこう。
個人的には米国に行きたかったが、親と相談して、季節が逆で冬期間ならと言うことで、同じ英語圏であるオーストラリアの夏の農業を経験することになった。
成田からの出発は台風の影響で4時間遅れの出発となった。当然フィリンピンに到着するのも4時間遅れである。マニラ到着後はアムステルダム発マニラ経由シドニー行きに乗る予定であった。若いと言うことは素晴らしいことだ。どう考えてもシドニー行きの飛行機は出発しているのに、後先を全く考えていない無鉄砲さが残る青春真っ盛りの頃でもあった。
マニラではトランジットであったので、入国審査のラインに並ばないで、通過エリアに行こうとすると、フィリピンの入国審査官が近づいて来てパスポートの提示を求められ、最終目的地を聞かれた。
審査官は「シドニー行きはもう出発したよ」と言う。だよな~と、驚きはしなかったが、内心どうすべきか、私の澱みのない目が天を仰いでいたのだろう。そして、そんな気弱さを入国審査官はしっかりと見透かしていたのだ。
「ほら、あそこにいる男に案内させるから入国をして、とりあえず今晩は一泊して、明日、出国しなさい」と優しいお言葉をかけていただいた。
その指差した方向を見るとお兄ちゃんが、山本リンダの手の動きの様にカモーンポーズを取っていた。しかし、どの角度から見てもそれは明らかに怪しい雰囲気プンプンの、小チンピラ風なのだ。
会員の方はここからログイン

宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
ランキング
WHAT'S NEW
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2020/12/17)
