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座談会

創刊200号記念特別座談会 私のあの時代、そして今

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 2012年10月12日

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本誌は今月号で創刊200号目を迎える。それを記念して、創刊当時からの3名の読者と、本誌創刊の影の仕掛け人だった当時のスガノ農機創造企画課長・黒川英一氏を含めて20年を振り返る座談会を行なった。会場は、第11号の農業経営者ルポにご登場いただいた高見澤憲一氏の農場。当初は季刊、その後、隔月刊、月刊となったので、200号までに19年間と半年の時間が過ぎた。創刊時42歳だった筆者を含め、座談会参加者は皆、あれ以来20年の歳月をくぐり抜けてきたことになる。まだ「一粒たりとも米は入れない」と全会一致で国会決議されるような時代だった。そんな中で、誰もが自らの新しい農業経営者としての生き方を模索し、未来へのチャレンジをしていた。そんな3人の読者と創刊の恩人である黒川氏との出会いは、楽しく、夜の耽るのも忘れて痛飲したことも書き添えておこう。(昆吉則)

背中を押してくれた名プロデユーサーの存在

昆吉則(本誌編集長) 1993年5月に創刊した『農業経営者』は季刊、隔月刊を経て、月刊誌になり、200号という節目を迎えました。雑誌を始めたときに比べて、読者の皆さんはチャレンジを続けてこられて、経営が大きくなりましたね。本日は高見澤憲一さんの農場を借りて、読者を代表して3名の農家とプロデューサーとして僕の背中を押してくれた黒川さん(元・スガノ農機(株)創造企画課長)と一緒にこの20年を振り返ってみたいと思います。

黒川英一 まず、ここまで続くとは思わなかったよね(笑)。始めた時は不安で、半信半疑だったから。

昆 ええ、そうでしたね。ですから、気付いたら200号まで来ちゃったというのが正直な今の感想ですね。

黒川 雑誌が始まる前にそもそもスガノ農機の新聞広告シリーズのために2人で月1回農家を回って取材をして文章を昆さんに書いてもらっていました。その中で生まれた「収穫は次の始まり」というインパクトのあるキャッチコピーを見て、昆さんは凄いなと。そこで、自己主張の強い昆さんに代理店は無理。メーカーにならなきゃダメと思って、「昆さん、雑誌作ろうよ」といろいろ提案したんだけど、なかなか腰が上がらないんだわ。

昆 それは始めるとなると冒険ですから……。私がグズグズしているところを絶対伸びるからと黒川さんが背中を押してくれて、さらにこういう風にしてやれば儲かるだとか、援助を引き出してくれたりだとか準備してくれたんですね。

黒川 金銭的に負担のかかるものだから何とか協力して、『農業経営者』の中で新聞広告シリーズの続きをやってもらおうという企画もありました。そこで何とかうまく軌道に載せるためにユーザーリストを提供したり、送料を負担したり、販売価格を決めたり、四苦八苦してアイディアを考えましたよ。

昆 ありがたかったです。農業をテーマにした漫画は黒川さんが台本を書いてくれて。

黒川 創刊号から『よみがえる大地』という漫画を始めたんだけど、季刊誌だったから次の雑誌が届くころには、ストーリーを忘れちゃうんだよね。だから話が続かなくてね。

昆 それでも日本初の「農業経営技術漫画」は画期的だった。そして、経営者の顔を表紙にしようと言ったのも、その写真を撮影したのも黒川さんでした。

黒川 表紙に写真を載せるべってね。しわくちゃで鼻毛が見えるくらいの農家の顔を大きく載せたね。

昆 高見澤さんが表紙に載った時(本誌11号)は若かったな。まさに好青年という雰囲気でね。

高見澤憲一 そうですね。あのときは農業始めて10年くらいの34歳でしたから。

黒川 でもあの頃は経営者って顔じゃなかったよ。今、ようやく経営者の匂いがしてきたように思うね。

高見澤 今日来ていただいて驚いたんじゃないですか? 今年からキャベツ・ハクサイ・レタスが完全になくなって、トマト1本に転向したんです。最終的に選んだのは野辺山で誰も作っていないトマトでした。

昆 普通は産地化しようとするところの逆を行くわけだ。

高見澤 トマトは万人が食べるし、ここは標高1300mもある内陸で、雨が少ないということは、「日本のアンデスだ!」ってね。

黒川 ホントに、一面のレタス畑が、全然跡形もなくなっちゃったね。

篠原好明 うちも昨年栃木でトマトを作り始めて息子に任せていたんですけど、離れたところだと売り先の確保が課題だと分かりました。

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