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【新・農業経営者ルポ】
未知の領域に挑み続けるミディトマト業界の先駆者
- 有限会社奥松農園 代表取締役 奥松健二
- 第101回 2012年11月14日
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ハウスの中を覗くと、健やかに伸びた茎と葉が緑色のカーテンを張りめぐらせている。その中に明るいグリーンから鮮やかな赤まで、小さな球体が見え隠れしていた。
トマトは成熟段階によって、目まぐるしく色を変えていく作物だ。緑から白。白からクリーム色。そしてオレンジを経て赤へ。その度合いを確かめるかのように、奥松健二は屈んでトマトを凝視していた。
宮崎市の中心地から北に向かって約10km。リゾート施設・シーガイアからほど遠くない場所に、奥松が営む奥松農園はある。都道府県別のトマト生産量が全国13位の宮崎県(平成21年)で、奥松農園が主要作物にしているのは中玉トマトだ。
各地でハウス栽培が行われるトマトは、200g前後の大玉トマトを中心に発展。近年は10~30gの小玉トマトがさまざまな果形や多彩な色合いを売りに、ミニトマト、フルーツトマトとして人気を集めてきた。その中でミディトマトと呼ばれる中玉は、地味な存在である。大玉と小玉の間のサイズが中玉として扱われ、品種によって大きさはまちまち。小玉に比べると糖度が高いイメージもあまり流通していない。取り扱いしていない店もあるため、農家が売り先を見つけられず数年でやめてしまうケースも目につくという。しかし奥松はそんな中玉を手がけ、「太陽美人」「甘熟姫」といったブランドを確立。業績を伸ばしてきた。
しかしそのスタートは、ほぼゼロに近い状態から始まっていた。
1955年、宮崎県で生まれた奥松の実家は、コメ7反、葉タバコなどの畑6反を営み、牛を2頭飼う農家だった。しかし奥松が小学校6年生の時、父親が体を壊し、農作業が困難に。親類が農場を見ながら、母親による農協出荷所のパートが家計を支えるようになった。
農業のきびしさを身を持って味わったからか、父親は奥松に対して農業を継がずサラリーマンになれと説いた。しかし「自分は気が短いから人に使われるのに向かない。農業しかないだろう」と考えていた奥松は、高校卒業後、父親の反対を押し切って就農。出荷所を辞めた母親とともに15aのハウスを始めた。家にトラックがないため、クーペの後ろを開けてシートを引き、牛の餌を運んだ。
その後、地区の青年団で文化部長として祭りを成功に導いた奥松は、事業計画の面白さに目覚める。そして就農から10年。農業青年クラブのリーダーを卒業し、新しいビジネスチャンスを模索していた。その時、ふと開いた農業雑誌で愛知県の作業受託業者の記事を見かける。職種に可能性を感じた奥松は、飛び込みで話を聞くと、宮崎に帰って作業受託のグループを作った。
チラシを配って、育苗の注文を取ったところ、6500箱のオーダーを獲得。滑り出しは上々だったが、本来薄蒔きによって丈夫にする苗を、指導員が肥料を入れる指導を怠ったため、もやしのようにヒョロヒョロした苗ができあがってしまった。いきなり躓いて、依頼した農家から叱責されたグループは自然消滅。奥松は先導した責任を取るため、育苗に使用する資材を全部を買って支払いに奔走した。
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奥松健二 オクマツケンジ
有限会社奥松農園
代表取締役
1955年、宮崎県生まれ。高校卒業後、父親の反対を押し切って就農。15aのハウスを始める。就農してから10年後に作業受託業務を開始。99年、地域で10人ほどのグループを組み、JTが開発した中玉トマトの新品種の栽培を1.7ha使って始める。現在の栽培面積は約5.5haあり、トマトの他に、キュウリ、米の栽培、育苗も行っている。また奥松農園を拡大させた作業受託も継続しており、さらに別会社として直売所、簡易精米所も経営している。株式会社宮崎太陽農園の代表も兼務。
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