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ルポ再訪 あの時代、そして今

原野菜生産からトマト作り、そして海外へ 農業を舞台に新しい人生の「作品」作りに挑む


 高見澤さんは、自らその道を選んだ。そして、これまで筆者が出会ってきた沢山の優れた農業者たちもまた、ムラそして農家に産み落とされながら、農業経営者として自ら生まれ直した人々なのだ。現代という時代、社会あるいはマーケットの中にいる己を自覚し、そこで自分であればこその生き方を見出した人々なのだ。

 それに対して多くの農家は、ムラあるいは農家の子供として産み落とされたまま、ただそこに生きている。多くの場合、被害者意識と劣等感に苛まれ続けながら。だから、己自身の存在だけでなく、現代においての農業や農業経営者という職業を相対化できない。それゆえに、農業経営者としての誇りを自覚せず、自らチャレンジすることもなく他者の評価ばかりを気にかけている。農村人としてゆったりと生きている生活者としての農家のことではない。いわゆる農民運動家や被害者顔の農家たちのことだ。

 これまで口にはしなかったが、誰も農業をやってくれなどとは頼まれているわけでもない。だから、嫌なら止めればよいではないか、というのが、筆者が思い続けて来たことだ。筆者が「農業経営者」を創刊したのも、誰かに頼まれたからではなく、やりたいからやったのだ。同じことではないか。

 とかく語られるイエそしてムラに対する責任を背負うなどということも、困難なことであっても事業者能力のある農業経営者あるいは農村経営者がリードして果たすべきことなのだ。むしろ、農地改革以来、一貫して農民・農家の被害者意識を煽り続け、そして農家を搾取し続ける農業関係者たちの居場所作りのための農業・農村政策が無ければ、もっと別の日本の農業や農村があったのだろう。それが、農業から誇りを奪い、暗い自尊心にしがみ付く農家の姿を作ってきた。農業経営者とは誰に頼まれるからではなく、自らそれを果たす者たちなのだ。


野辺山で誰も作っていないトマトを作ろう

 前回のルポから17年が経った。最初に出会った頃からすれば約20年だ。11号のルポに掲載されている34歳の高見澤さんは、今、51歳。でも、かつて「農業者であることが僕の『作品』」と語った彼の生き様は少しも変わらず、その作品は取材した当時には想像もつかなかった新たなステージに向かっている。

 高原野菜の生産は、その後さらに規模拡大をしたが、今年、レタスとキャベツ、白菜などの土地利用型の露地野菜生産をすべて止めた。8年前から始めていた各種トマトを中心とした品質にこだわった園芸型の野菜作りに経営をシフトしたのだ。少しずつ面積は小さくしてきたが、これまでの高原野菜を作っていた経営と比べると、1000万円以上売上が落ちる。それでも、今回のチャレンジの話をしながら、以前に彼が「腹すかしたってこの意地だゾ」と言って笑った時と同じ顔をしていた。

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