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ルポ再訪 あの時代、そして今

原野菜生産からトマト作り、そして海外へ 農業を舞台に新しい人生の「作品」作りに挑む


 とは言え、今回は30年近い農業経営者としての技術としたたかな計算や営業体験がある。トマトを経営の中心にすることを決める前に、様々な野菜作りを試してみた。最初はメロンだった。農協を通して出荷してみたが、産地でもない野辺山産は、品質以前に市場での評価は低かった。その後、スイカやエダマメなどトマト以外にも様々な野菜を作っては営業をかけた。市場ではなく、冬場を利用して都心のレストランや高橋がなり氏の農家の台所、その他、人を頼ってありとあらゆる場所に営業した。ロットとして扱えないというような会社でも、その品質と高見澤さんの人柄が気に入られて、別の取引先を紹介されることもあった。

 様々な品種を高見澤流に作るだけでなく、標高1300mで育った“雲の上のトマト”というブランドを作り、寒冷地で無理して冬の生産はせず、夏だけの産地としての風土を活かせる形にした。

 ハウスなど新規の投資も必要だが、1棟100万円かかったとしても、これまで露地で機械や肥料、資材にかけて来たコストを考えれば、はるかに小さなコストで新しいチャレンジができる。売上は落ちても、それで得られる収益を考えれば十分見合うものだ。トマトだけでなく、高齢者などの仕事を作って風土条件を活かせる仕組みづくりも考えている。

 これまでの営業で出会ったレストランシェフや様々な人々が彼を訪ねてくる。できる限りそうした訪問を受け入れるようにしている。そんな人々は、様々に試し作りをしている野菜類を食べ、感激とともに「これを作ってほしい」と言う。すべてに応えられるわけではないが、料理人やこだわりの流通業者との感動の共有が彼を勇気づけるのだ。

 トマトはトマトでも、高見澤さん以外には誰も作っていないオリジナルな“作品”としてのトマト。水も肥料もやらずにトマトを作ろうとしても、高見澤さんの満足できるトマトはハウスの1/4くらいにしかできない。ハウスの位置によって水位が変わり、十分な水分調整ができないからだ。収量は狙わない。選別も厳しくする。サイズに合わせた商品化もする。試食してみると食べたことのない旨みが凝縮されたトマト。出荷できないものは冷蔵して品種別のジュースに加工している。


高見澤流の野菜作りを海外に広める活動

 高見澤さんの農業経営者という人生の作品はこれだけではない。海外マーケットでの高見澤流の野菜作りを広めることだ。すでに、取引先の在日中国人実業家と組んでの上海近郊でのトマト作りは3年目を迎える。その他、彼を見込んで頼まれたフィリピンやインドネシアでの野菜作りにも取り組もうとしている。

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