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危機に直面する伝統産地 そこにある問題と可能性

電照菊(その2)固定観念の打破



仏花の「菊」から「マム」へ

 これまで日本での菊の用途は、盆や彼岸などの年中行事や葬儀にほとんど限られてきた。時代とともに日本人は盆や彼岸を重んじなくなり、葬儀を簡素化してきたため、一世帯当たりの菊の消費量は減っている。総務省の家計統計調査によると、菊がその多くを占める切り花の年間購入金額は2003年に1万143円だったのが右肩下がりとなり、11年には8933円となった。この事態に産地は苦しんでいる。

 ただ、「菊=仏花」という凝り固まったイメージを作ってきたのが、実は東三河の産地にほかならない。旧JA愛知渥美町(現在のJA愛知みなみ)の生産部会が80年中ごろ、およそ30年後に日本人の死亡率がピークを迎える推計値を基にして、こうした固定観念を中央市場とともに作り上げることにした。それが日本人の間に広がれば、今後膨らんでいく葬儀市場でほかの花と比べて優位性を持てると考えたのだ。

 ここではその功罪について述べるつもりはない。重要なのは仏花と菊の結びつきが歴史的には浅いということである。だからこそ渡会氏は先輩たちが作り上げてきたそうした固定観念を打ち壊せると信じて、菊を日常的に使ってもらえるよう努力を重ねてきた。

 その話を詳しくする前に、渡会氏や取引先の生花店も、「菊」ではなく「マム」と呼ぶことに触れたい。言葉と結び付いた日本的な菊のイメージを根底から崩したいからである。何しろ欧州の国々では菊はもっと幅広い機会で利用されている。それなら努力次第で日本でも菊に日常性を持たせられると彼らは考えている。したがって、この号では日本的な狭い用途では菊、西洋的な広い用途ではマムと書くことにする。

 渡会氏が菊に代わってマムを作り始めたのは9年前。沖縄を視察に訪れたことがきっかけである。沖縄では当時から、東三河で渡会氏らJA以外に出荷する農家が作るのと同じ黄色系の菊が主力だった。

 それまで全国的に菊の産地といえば東三河で、そのブランドで売れるという強気の思いがあった。それが沖縄の黄色系の菊を見て、愛知産の品質と遜色ないことに危機感を覚えたという。おまけに常夏の気候を利用するので重油代はかからず、冬場に加温が不可欠な東三河で栽培するより経営的有利に立てる。空いている農地も多く、面積を広げることもできる。

 さらに、消費の低迷から01年を境に全国の菊の出荷量は減少に転じていた。だから焦りとともに疑問が生まれてきた。「消費が減り始めている中、産地間競争でこれからは東三河といえども厳しくなるのではないか。何か打つ手はないのか」。

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