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編集長インタビュー

ウルグアイで輸出米ビジネス始動 コメ作りの技術と文化を伝える

本誌にカルフォルニアのコメ作りの情報を発信していた田牧一郎氏は今年、南米ウルグアイで本格的にコメビジネスを始動した。ウルグアイ産の日本品種のコメは、米国やヨーロッパに輸出される。人口が減り、日本国内のマーケットが縮小していく中で、どこに可能性を見出して進んでいったら良いのだろうか。世界における日本のコメ産業について話を聞いた。

米国で学んだコメ産業全体のしくみと経営者の考え方

昆吉則(本誌編集長) 田牧さんは本誌でカルフォルニア便りや乾田直播の連載を書いていただき、読者にはお馴染みと思います。米国カルフォルニアで20年、南米でも約10年にわたって現地のコメ作りを指導されて来られました。先日放送されましたNHKのETV特集「地球の裏側で“コシヒカリ”が実る」 という番組を私も拝見しました。今日はウルグアイでの取り組みを通じて日本のコメ産業の可能性について伺います。初めに田牧さんご自身のことをお聞かせください。最初の渡米はずいぶん若い頃でしたね。

田牧一郎 20代前半の頃から大きな農業経営に興味があって、カルフォルニアの農業に憧れて、同郷の鯨岡さんを頼って国際農友会から国府田農場に農業研修生として渡りました。その後オーストラリアにも行きましたが、再度カルフォルニアに渡ってコメ作りを始めました。

昆 「田牧米」の販売を始めたのはいつ頃でしたか。

田牧 1990年ですね。ちょうどガットウルグアイラウンドの貿易自由化交渉の頃です。将来は見えないけれど、どうやったって海外と競争しなくてはいけない時代が来ることは分かっていました。

昆 当時、「米国にはコメ作りではなく、流通を学びに行く」とおっしゃっていましたね。

田牧 そうでしたかね? 研修でお世話になった国府田農場(米カルフォルニア)で現地のコメの作り方は学んでいたので、今度は生産から精米、流通までを含めた産業全体のしくみを理解しないといけないと思いました。精米業などもある程度は体験しなければ分からないですからね。それでやってみたわけです。

昆 日本は生産と流通、消費が分断管理されてきて、おっしゃるような一気通貫の発想すらありません。日本の場合は交付金がこのくらい出るというのがあったとしても、役人に押し付けられているだけで戦略的に経営者自らが考えているわけではないんですよ。だから、ただ黒船が来たというような論争が起きます。

田牧 そもそも政府の役割と農業者が考えていることは違って、農業経営者にとって農業政策の一番大事なことは、自分に補助金がいくらもらえるかということなんですよね。

昆 海外の農家、特に経営コンサルタントたちは来年の補助金がどのくらい出るからコメ作りはこの面積にして他の作物を作ろうとか、補助金も含めて収入を最大化するのに何をすればいいのかということを提案します。単に肥料代などのコストだけでなくビジネス化していて、農家もそれを当たり前と思っている。ビジネスマンとしてどう考えていくのかというのが肝心なのにね。

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