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危機に直面する伝統産地 そこにある問題と可能性

電照菊(その3)情熱の足跡



“小久保イズム”を受け継ぐ人たち

 現実に合わせて既成の枠組みを取り外し、1割のマーケットに向けて独自の生産体制を築く“小久保イズム”は、新たに農業を始める人々にも受け継がれている。彼は菊だけでなく人材の優れた育成者でもあるのだ。冒頭に紹介した施設から巣立ったのは国内外含めて50人に上る。愛知時代を含めれば100人を超える。

 このうち20代から50代までの5人は09年、生産団体のお花屋さんぶんご大野を創業した。「お花屋さん」とは小久保氏が代表を務める出荷団体の名称で、そのグループに加わった形だ。小久保氏のところから車で10分ほどの場所にある、県のリース事業を活用したフェンロー式ハウスで輪菊を作っている。その施設面積は3万平方メートルとやはり広大で、内部の構造もそっくりだ。

 似ているのは外観だけではない。毎月1回はメンバーの圃場を巡回し、小久保氏自らが指導する。研修を終えた後も、その優れた技術を学び取る機会を得ている。

 それにしてもなぜ、小久保氏のもとにこれだけの研修生が集まってくるのだろうか。

 組合長の加木勝さん(39歳)によると、「研修先として一番面白そうだったから」という。彼は福岡にある飲食店の従業員を退職後、地元・大分での就農を決意。農業大学校で学び、お花屋さんで研修を受けた。選んだ理由について、「ほかの農家は『農業なんか面白くない』『儲からない』とマイナス発言ばかり。それが小久保さんは『そんなことはない、やるならうちに来い』と。世界観が違った」と説明する。さらに「就農するにも金も土地もない」と打ち明けると、借金の保証人にもなってくれたという。

 その人間力で多くの人を引き込んできた小久保氏は「俺は何人もの人生を変えたからね」と笑う。娘の夫である鈴木教仁さん(39歳)も園芸資材メーカーからお花屋さんに引き込み、今や専務を任せている。

 こうしてグループの生産者も栽培面積も増えたことで、年間売り上げは10年前に10億円だったのが、昨年には19億円を超えるまでに成長した。メンバー34人の出荷本数は年間3000万本。これは実に愛知県における輪菊の生産量の約1割に当たる。菊産業が右肩下がりであるというのが、まるで嘘のように感じられる。

 小久保氏がいま考えているのは、この数字をさらに伸ばすこと。そのための新たな取り組みはすでに始動している。

 今年初めて、小菊を45aで作った。渥美半島では8月から9月かけて暑さで小菊がうまく生育せず、いきおい生産量は落ち込む。一方、豊後大野市は渥美半島ほどには夏場の気温が上がらない。また、東日本大震災とそれに伴う原発事故があってから、東北地方では小菊の生産量が回復してこない。だから年間通して安定供給してくれるお花屋さんに、東京大田市場に本社がある卸売業者の(株)フラワーオークションジャパンから声がかかったのだ。

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