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岡本信一の科学する農業

経営に合わせて栽培技術を選ぶ(1)

「日本の栽培技術のレベルは低い!!」などと書くと、多くの方からお叱りを受けるかもしれない。以前、本誌の昆編集長がここ数十年に先進国の中で収量の伸びが止まっているのは日本だけだ、という内容の記事を書かれていたが、私自身はかなり納得できた。その通りだと思う。ただし、日本には優れた栽培技術がないとも思っていない。なぜ、優れた栽培技術があるにも関わらず、実際の農産物の生産という現場で活かされていないのか。

栽培技術が普及していてもレベルが高いとは限らない

 先の質問に、「収量は低くても、品質は最高だ」という反論もあるだろう。しかし、日本の農産物は品質もさほど高くないと感じている。確かに他国の農産物と比較すると、見た目が良く、選別が厳しいために形や大きさが揃っていて、そして包装も完璧に近いのだが、中身については疑問符が付く。粗放的といわれる他国の農産物は、見た目が揃っていないし、包装は最低限でも、食味が良かったり、棚持ちが良かったりするのだ。

 なぜなのだろうか? まず、いわゆる発展途上国に行くと、農家の方々の眼の色が違う。何としても、もっと収量を上げて収益を得ようとする気持ちが非常に強い。翻って、日本では技術の話をしても、あまり興味のない反応が返ってくることが多い。姿勢からして違うのだ。日本で盛り上がるのは農政の話である。

 日本の栽培技術が進んでいると勘違いされている理由は、日本が先進国で一通りの資材も、栽培技術も普及しているためではないだろうか。発展途上国では農業資材も手に入りにくいし、栽培技術の情報も少ない。だからこそ栽培技術の話になると眼の色が変わるのだと思う。

 また、日本では長年様々な栽培技術の追求を行なった結果、もうやり尽くしたと考えている方が多いせいもあるだろう。収量がそうそう簡単に上がるはずはない、品質がこれ以上良くなるはずはないという諦めに似た思い込みがあるのだ。そのためにいろいろ話をしても、困っていることがないように見受けられるケースも多い。しかし、よく話をしてみると、気づいていないだけで、改善できることは山のようにあったりするのである。

 最も分かりやすいのは、「天気が悪いと取れないのを何とかしてほしい」という例。これは、たいていの場合、相談されもしない。天気が悪ければ、取れないのが当たり前だと思われているためだろう。好天の年よりも取れるようにはならないが、減収幅を抑えることは可能である。天候不順で取れないのは農業において最も困ったことだと思うのだが、日本では常識化しているために、それを困ったことだとは認識していないのである。無理難題をふっかけられるのが現場の農業コンサルタントなわけで、無理難題だと思っても相談してほしいものだ。

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