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新・農業経営者ルポ

最高級ぶどうでMade by Japaneseを目指す小さな農家の大きな挑戦



 ぶどうは日照時間が長く、乾燥した土地に適した果物だ。亜熱帯では、高温が土の養分を分解し、雨が洗い流してしまう。一般的に南国の土地は養分が少ない「痩せた」土地となりやすい。フィリピンの土も決して「肥沃」な土地とは言えなかった。生まれ育った長野の高冷地は、夏は暑くても27度前後、冬はマイナス10度まで下がることもある。それとは全く異なり、年中30度を下回らない常夏の地で、堆肥作り、水分調整などと格闘した最初の3年間。まさに実験を重ねる日々だった。

 試行錯誤の結果、4年目にみごとな巨峰が出来上がった。プランテーションオーナーは喜び、4haというさらに巨大な土地を渡邉に提供した。しかし、最初の実験での成功が仇になった。狭い実験農場だからこそ、丁寧な土壌改良ができたのだ。農作物にとって土と水は生命線。しかし、いっぺんに巨大な土地をどう改良すればよいのか。降雨量の多い土地では、ぶどうには雨除けも必要だ。渡邉は「そんなこととてもできない」と思った。とはいえ、放棄するわけにはいかない。巨大な土地を目のあたりにして、途方にくれながらも方法を模索した。「当時の自分にはその発想もありませんでしたが、今なら、コンテナ栽培によって、土地の広さとは関係なく土や水の問題を克服できます。」コンテナ栽培であれば、土の質も水の量も管理しやすく、自分の思い通りの栽培ができる。この方法を当時思いついていれば、結果は違っていただろうと渡邉は振り返る。

 模索しつつ月日が過ぎていく中、83年のベニグノ・アキノ氏暗殺を契機にフィリピンでは、政情不安が一挙に高まっていく。86年の2月革命によってマルコス大統領一家は国外脱出し、20年以上にわたる独裁政権が崩壊する。革命後、フィリピン国内の状況は激変し、ついに90年、渡邉は帰国する。

 売れるぶどう作りが巨大な土地で完成できなかったという意味で、「フィリピンは結局失敗でした」と渡邉は言う。「でも、恐ろしい目に遭ったことも含めて、フィリピンでの得難い経験があったからこそ、どんな問題に遭遇しても、なんとかなると思えるんですよ」と楽観的だ。同時に、今回のタイ進出は「フィリピンでの“失敗”へのリベンジ」でもあるのだ。

 90年、10年ぶりに帰国した渡邉は農業の現場から離れることになる。長野の地元で絹糸紡績を営むシナノケンシ株式会社に就職する。この会社での14年間の経験が、現在の渡邉の「農家でありながら経営者」という意識を育んだ。

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