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“被曝農業時代”を生きぬく

福島産農産品をストーリーとともに売り出す力(上)

放射性物質の出荷基準を満たしていても、風評被害によって売れなくなった福島県産の野菜や果樹など。そうした農産品を自社のブログとネットショッピングで販売してきた農業者がいる。二本松市にある二本松農園の代表、齊藤登さん(53)だ。原発問題に立ち向かう農業者個々のストーリーをブログで発信。それに共感した人々が、連動しているネットショッピングで農産品を買い支えるシステムを生み出した。(取材・まとめ/窪田新之助)

 原発事故が起きる前年の2010年3月、私は長く務めていた会社を辞めました。実家の農業を継ぐためです。目指したのは、インターネットを使った販売と、観光を結びつけた体験型農業。新たに就農を希望する他の4人と一緒に、4haでコメを、2.5haで野菜づくりを始めました。

 けれども、この年は土づくりがうまくいかなかった。それに加え、異常な夏の日照りもあり、1haで作っていたキュウリは予定の5分の1しか取れませんでした。

 「今年こそは」と、決意していた矢先。11年3月11日にあの巨大地震が起きたんです。本当にすごい揺れでしたよ。ただ、この地はかつて「岩代の国」と呼ばれたように、強い岩盤になっている。地割れや建物が崩れるといったことは、ほどんとなかったのがせめてもの救いでした。


ブログで被災状況を発信

 震災から数日後、テレビ画面に映し出されたのはガソリンスタンドに列をなす車。ガソリン不足で、齊藤さんも農業機械を動かすことができない。停電もあったので、農作業は一時休まざるをえなかった。そんな時、ブログで地域の被災の様子を発信していくことを思い立つ。

 当時は特にやることもなかった。それで、他県に移住した人たちに地元の現状を伝えようかなと。あれだけの地震ですので、とにかく気になっているはずでしょ。浪江から二本松に3000人が避難してきたこと、ガソリン不足や建物の崩壊の様子などを写真と文章でブログに載せていきました。

 そうすると、ブログとつながっているホームページへのアクセス件数が急増。震災前は1日20件程度だったのが、なんと1000件以上にまでなったんです。

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