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新・農業経営者ルポ

僕らの景観を、素敵と思ってくれる人は、きっとどこかにいるはず



 卒業後、コープ札幌(当時の帯広市民生協)に入社。商品管理を任され、流通の実態を学んだ。仕事は順調だった。

 30歳を迎え、転機が訪れる。店長を任かされる時期が近づいてきたのだ。管理部門は出世コースだが、自己完結型で仕事をこなしたい性格には受け入れられないことだった。「会社とパートとの間に立たされ、マネジメントで窮々とするのは性に合わない。自分で完結できる仕事をしたかったんですね」

 ちょうど父親も高齢になり、後継者を強く望んでいた。自分で事業を計画して実行できる仕事として、いつしか実家の畜産経営に目が向くようになっていた。ただ、家畜商をやるつもりはなかった。人間関係のややこしい家畜市場での付き合いは、店長になることを嫌う性分には合わない。だから、ぬかるんだ土地をたたき直して牛舎や堆肥舎を増設し、飼育頭数を増やして乳牛一本で生計を立てる決心をした。そして、1994年に経営を引き継ぐ。


牧場に眠っていた、人を呼び込む魅力

 就農した頃、近隣には同世代の酪農家としてUターン組が他に3人、それから地元に居残った小笠原忠行(49)という仲間がいた。

 よく話題にのぼったのは、酪農の大規模化や効率化を追求するだけの経営では面白くないということ。それなら、まずは消費者と交流する活動を始めようと、2001年に「酪農家集団AB-MOBIT(エービーモビット)」を結成した。組織名は、厚床(A)と別当賀(B)という地名に加え、メンバーの名前である村島(M)、小笠原(O)、馬場(B)、伊藤(I)、富岡(T)から付けた。

 そんな気の合う仲間と酒を飲んでいたある晩、伊藤は自分の牧場でとりわけ気に入っている景色があることを語り始めた。それが、今やフットパスのコースになっている「もの思いにふける丘」である。

 毎年6月下旬から7月中旬までトラクターに乗り、牛に与える牧草を刈り取る。トラクターに取り付けた集草機がせわしなく動くのをよそに、伊藤は運転席で遠くの景色を眺めては、よく物思いに耽っていた。仕事の場でありながら、仕事を忘れられる空間。広い牧場だからこそ、そうした場所は大なり小なり各所にある。

 その話につられ、他の4人も競うように自分たちの牧場の自慢話を始めた。互いに仲間とはいっても、用事があって入るのは玄関先だけ。畜舎や牧草地にまで足を踏み入れることはなかった。だから、各自が憩いの場所を持っていることなど知らなかった。

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